優勝なしで横綱になった力士はいるのか?【双羽黒逝く】

第60代横綱双羽黒逝去

先日、元横綱双羽黒の北尾光司さんが、慢性腎不全のため死去したという訃報が流れました。

大相撲だけでなく、プロレスからも引退して長く経っており、立浪部屋のコーチに就任したという報道が最も最近のニュースだったような気がします。

それにしてもまだ55歳という若さ・・・驚きました。

私自身、双羽黒の現役時代というのはリアルタイムでは見ておらず、プロレスをしている「北尾」の方が、まだ記憶にあります。

今回、訃報を耳にして改めて双羽黒という力士を振り返ってみたのですが、双羽黒の早すぎる引退(当時は廃業ですが、以下引退と記載します)は、相撲界において残念な出来事だったと思わずにいられません。

末は横綱大関

「双羽黒」その名前は、親方として相撲協会に残っていない依然に、しばらくの間、相撲協会ではタブーの話題だったことや、24歳というこれからというタイミングで早々に引退した短い現役生活も含め、若い相撲ファンにとってはあまり馴染みがないと思われます。

しかし、若貴や曙を中心とした「花の63組」、稀勢の里や豪栄道などを中心とした「61組」のように、北勝海・小錦・寺尾などかつて土俵を沸かせた「花のサンパチ組」の中でも、190センチを超える体型と恵まれた素質を持った双羽黒は、その将来を大いに期待された力士でした。

長く関取を輩出出来ていなかった立浪部屋に現れた、待望の新人だったため、若い頃から甘やかさていたようで、稽古嫌いも有名で、すぐに稽古を休む姿勢は「イタイイタイ病」と揶揄されていたものの、3場所合計35勝で22歳での大関昇進と、期待通り順調に出世をした双羽黒は、立浪部屋だけでなく、将来の相撲界を背負う希望だったのです。

将来性に期待の横綱昇進

順調な出世の反面、ここ一番に弱い双羽黒ではありましたが、当時全盛期だった千代の富士と優勝争いを繰り広げていた成績を評価され、優勝経験のないまま横綱に推挙されます。

優勝経験がないことはもちろん、心技体の「心」や「技」が足りないという声もあり不安視はされていたものの、恵まれた「体」がそれらを補い、将来的には心も技も磨かれていくはずと、期待値を込めた昇進でした。

ようやく23歳になろうとする若き横綱にとっては、優勝のチャンスなどは今後何度も訪れ、初優勝は時間の問題。多くの人々がそう思っていました。

※かつての最年少横綱記録を持っていた照國も、優勝経験のないまま横綱に昇進しましたが、その後連覇で優勝を飾っています。

しかし、期待を込めての昇進からわずか1年半後、当時の立浪親方と揉め、突然の引退。

ワイドショーは、「現役の横綱が部屋を飛び出す」という前例のないことに色めき、面白おかしく書き立てたようですが、結果的に史上初の「優勝経験がない横綱」が誕生してしまったわけです。

この双羽黒事件を教訓として、双羽黒引退後に横綱昇進を果たしたのは(鶴竜の昇進まで)、「2場所連続優勝」をした力士のみが続き、昭和に比べて厳格化されました。

横綱の権威を傷つけ、親方の言う事を聞かず、女将さんを突き飛ばしたわがままな横綱双羽黒。引退当時の評価は、恐らくこんな所ではないでしょうか?

改めて双羽黒を評価する

しかし今回を機に、双羽黒という力士の評価を改めて再考し直しては如何でしょうか?

双羽黒の引退当時(それ以降も長きに渡ってですが)は、双羽黒が悪いという世論が強かったのですが(春日野理事長は立浪親方を怒ったそうです)、その後婿養子に入ってきた旭豊の部屋継承における安念山(双羽黒の師匠だった立浪親方)とのいざこざを通して、当時の事件への受け取り方が少し変わったような気がします。

安念山の立浪親方は、以前から角界内ではあまり評判が良くなかったようで、
どうやら親方にも非があったようなのです。

そう思うと、双羽黒最大の悲劇は部屋選びだったのではないでしょうか?
もっと言ってしまえば部屋だけでなく、「誰を師匠にするか?」

この件に関して安念山も双羽黒も多くを語っておらず、互いの言い分があったようなので真相は闇の中ではありますが、長身からなる懐の深さとスケールの大きな取り口を持った24歳の現役横綱を相撲界が失ったことは事実です。

立浪部屋がかつて輩出した偉大なる二人の横綱、「双葉山」と「羽黒山」を合わせたしこ名。期待と素質は本物だったのでしょう・・・

もしも双羽黒が30歳まで現役でいたら

双羽黒が番付上引退したのは、昭和63年初場所。

その年相撲界一番の出来事は、ご存知小さな大横綱千代の富士の53連勝でした。

双羽黒引退後も千代の富士は9回の優勝を重ね、36歳まで現役を続けたのは周知のとおりです。

もしもあの時、千代の富士よりも10歳近く若い双羽黒が引退せずに現役を続けていたら相撲史はどうなっていたでしょうか?

日本中が湧いた千代の富士の53連勝が達成されていたかも分からず、もしかすると千代の富士時代はもっと早くに幕を下ろしていたかもしれません。

そして平成3年夏場所初日、後に伝説となった「千代の富士VS貴花田戦」、この時18歳で世紀の一番に勝利した若武者貴花田光司の前には、36歳の千代の富士ではなく、27歳の双羽黒光司が立ちはだかっていたかもしれません。

果たしてその一番の結果は?最年少金星は成ったでしょうか?
そんな取り組みを想像すると胸が高まります。

8月12日と同じ誕生日だった、9歳違いの二人の「光司」ですが、残念ながら相撲道が交わることはありませんでした。

もしも双羽黒が30歳近くまで綱を張っていたら、後に訪れる相撲フィーバーは全く違った黄金時代を迎えていたかもしれません。

 

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