モンゴル出身力士のパイオニア
朝青龍が、モンゴル出身力士として初めて優勝した2002年九州場所以降、幕内最高優勝のほとんどを、モンゴル出身力士が飾っております。4人の横綱と1大関はじめ数多くの幕内力士を輩出し、今や大相撲界の第一勢力となったモンゴル出身力士。
今回ご紹介する相撲関連の書籍本は、そんなモンゴル出身力士のパイオニアとして活躍した二人の力士のセットになります。
「モンゴル出身」という言葉自体がまだ珍しかった時代、苦労した二人の若者を通してモンゴル出身力士の歴史を学んで頂けると幸いです。
「自伝 旭鷲山」旭鷲山
まず一冊目は「自伝 旭鷲山」です。
旭鷲山といえばモンゴル力士のパイオニア的存在として有名な力士で、平成4年春場所相撲界で初めてモンゴルから入門してきた6人の若者の中で、最も出世が早かったのがこの旭鷲山でした。
彼が幕内で活躍する姿は母国モンゴルでも中継されていたので、現在活躍している多くのモンゴル出身力士が旭鷲山に憧れ、影響を受けて日本の相撲界にやって来ました。
今でこそ、日本出身の力士が10年以上も賜杯を抱けぬほど、土俵の主役となっているモンゴル出身力士ですが、旭鷲山が活躍していた当時の相撲界で外国人力士といえば身体の大きなハワイ勢が主流となっており、モンゴルからやってきた旭鷲山が小さな身体で相撲をとる姿は、「技のデパートモンゴル支店」と言われ土俵の名脇役的な存在でした
この本は、旭鷲山が三役昇進したばかりの頃に出した一冊でしたが、今振り返ると旭鷲山はこの頃が全盛期で、少し後を追いかけてきた旭天鵬こそが、モンゴル1期生の出世頭になります。
しかし、モンゴル出身力士初の〇〇という旭鷲山が獲得したフレーズのいくつかは、これからも永久に相撲界に残っていきます。
モンゴル出身力士初の関取、モンゴル出身力士初の幕内、モンゴル出身力士初の三役、モンゴル出身力士初の三賞。
土俵上での話も沢山書いてあるのですが、「自動販売機を始めて使用した」「喫茶店で水にお金を払った」「貨幣価値が全く違う」など、文化の違いについての記述が印象に残る一冊でした。私はこの本でモンゴルの寒さを知りました(笑)
自伝 旭鷲山

自伝 旭鷲山―大草原から土俵へ
目次
第1章:いたずらっ子誕生
第2章:転校、また転校
第3章:相撲、狩り、田舎大好き
第4章:大相撲への挑戦
第5章:石の上にも三年
第6章:故郷のためにも
角界のレジェンド旭天鵬
次にご紹介するのがこちらの本です。
「気がつけばレジェンド」 旭天鵬
旭天鵬もまた、先程ご紹介した平成4年春場所に来日した6人のモンゴル出身力士の一人です。
当初は旭鷲山の陰に隠れた二番手的なポジションでしたが、伸び悩み平幕に定着する旭鷲山を尻目に実力を付けていき、37歳8か月での最年長幕内初優勝を飾るなど40歳を超えるまで現役を続けました。
晩年は「角界のレジェンド」とも呼ばれ、引退後もモンゴル出身力士のパイオニアと、モンゴル人力士達の兄貴分として一目おかれる存在となっています(優勝時のパレードでは横綱白鵬自ら旗手を努めました)。
気がつけばレジェンド
長く現役を続けてきたからこそ、
昭和の匂いが色濃く残る平成初期の相撲界から、現在の相撲界までを現役として見てきた旭天鵬なだけに、その内容は非常に濃いです。
ちなみに意外に知られていないのですが、平成の大横綱貴乃花に土を付けた唯一のモンゴル出身力士は旭天鵬です。

旭天鵬自伝 気がつけばレジェンド
目次
第1章:日本へ
第2章:最初の挫折
第3章:パイオニアとして
第4章:試練からの復活
第5章:栄光、そしてレジェンドへ
第6章:感謝
その存在に賛否はありますが、モンゴル出身力士人同士の互助会を作るなど、モンゴル人出身力士が相撲界において居心地が良くなるような環境を整え、後の躍進への道を作った旭鷲山と旭天鵬の二人。
「モンゴル人力士」が相撲界でまだ小さな存在だった頃の話ですので、この2冊はぜひ合わせて読んで下さい。
日本の暑さに耐えかねて、大使館に逃げ込んだ彼らが、もしあのまま終わっていたらどうなっていたか。。。
20数年後の相撲界を知っている今だからこそ、楽しめる二冊です。