横綱土俵入りとは何か?
今回のテーマは横綱の土俵入りです。
そして「不知火型土俵入り」と「雲竜型土俵入り」それぞれどう違うのでしょうか?そしてどっちがカッコいいのか(笑)?
その前にまずは横綱土俵入りについて基礎的な話から始めていきたいと思います。
幕内土俵入りが終わったあとに行われる、横綱が行う土俵入りを「横綱土俵入り」と呼びます。
この横綱土俵入りは、大相撲において横綱だけに許された特別な儀式で、最高位である横綱が白麻の綱を締め、露払い・太刀持ちの両力士を従えて土俵の邪気を払い、自らの力強さと存在を観客に披露する儀式です。
これは地鎮の儀式に由来し、神聖な場所である土俵を清め、無事と横綱の権威を示す役割を担っているので、土俵入りの瞬間は、横綱は勝敗を争う競技者ではなく、日本の伝統文化そのものを体現する存在となります。
現在横綱は番付上で「最上位」になりますが、かつては大関が最高位となっており、横綱は「地位」ではなく「称号」であり、この称号を得た最強の力士が行う儀式こそが「横綱の土俵入り」でした。
一度横綱に昇進すると降格はなく、その代わり横綱としての力量や品格が失われたと判断されれば、自ら引退を決断するしかありません。横綱とは、「強さ」だけでなく「在り方」を常に問われ続ける存在です。
横綱土俵入りには、その覚悟を形として示し「自分は横綱であるに足る存在か」を自身に問う儀式でもあるのかもしれません。
横綱の土俵入りにはの二種類があります。
さてここから先は、「雲龍型」と「不知火型」それぞれの所作の違いやその意味を解説していきましょう。
雲龍型の土俵入り
まず最初にご紹介するのが「雲龍型の土俵入り」です。
現在いる2人の横綱、豊昇龍と大の里が共に行っているのがこちらの土俵入りの型です。
今回の記事を書くにあたって正確にカウントしたわけではないですが、歴代の横綱で、雲竜型の土俵入りを選択した横綱の方が恐らく多いのではないでしょうか?
最近では鶴竜や稀勢の里、朝青龍、貴乃花や曙、武蔵丸。昭和の有名どころの横綱である、千代の富士や北の湖、大鵬。古くは双葉山。雲竜型の土俵入りを行った横綱は数多く存在します。
雲竜型の土俵入りは、「守りと攻め」両方を兼ね備える方で、左手を脇腹(胸付近)に当てて守りを、右手を斜め下に伸ばして攻めを表しています。この形は、20代横綱梅ヶ谷の型が基本とされており、不知火型と好対照な形になっています。
また、横綱の象徴である「横綱」もこの土俵入りの型によって形が異なっており、雲龍型の綱は結び目が「一輪」。背中側に輪が一つだけ作られています。
【昭和以降雲龍型の土俵入りを行った横綱】
第64代 曙太郎
第65代貴乃花光司
第67代武蔵丸光洋
第68代朝青龍明徳
第71代鶴竜力三郎
第72代 稀勢の里寛
第74代 豊昇龍智勝
第75代大の里泰輝
不知火型の土俵入り
続いてご紹介するのが「不知火型の土俵入り」です。
不知火型の土俵入りの形は、「守りと攻め」両方を兼ね備える雲竜型の土俵入りとは異なり、「攻め」の姿勢を表す土俵入りと言われています。
せり上がりの際に両手を大きく広げ、体を反らせる動作が特徴的で、個人的な感想もありますが、動きが大きく非常に華やかな印象があります。
また、「綱」の形も雲竜型のそれとは異なり、綱の結び目は「二輪(にりん)」となっており、綱の背中側に輪が二つ作られた綱を腰に巻きます。
一見すると豪快なイメージのある不知火型の土俵入りですが、この不知火型は長く「短命で終わる」というジンクスがありました。
明確な原因ははっきりとしていないようですが、第51代横綱の玉の海が現役中に27歳の若さで亡くなった辺りから、その後不知火型を選択した横綱達が、在位10~15場所で引退したことも重なり、長くこのジンクスは相撲界では言われてきました。
平成初の横綱になった旭富士や、貴乃花と一代相撲ブームを書き起こした若乃花も不知火型を選びましたが、旭富士は9場所(うち皆勤は6場所)、若乃花11場所(うち4場所皆勤)と、共に不完全燃焼で現役を退いています。
しかしこのジンクスを破ったのが、昨年相撲協会を退職した横綱白鵬。短命どころか横綱の在位記録を塗り替えるほどの長期政権を築き、同時代戦った日馬富士も横綱在位32場所と、不知火型に短命のジンクスがあったことなど忘れるほどの活躍を見せました。照ノ富士の活躍も記憶に新しいでしょう。
こうして、いつのまにかこのジンクスもあまり耳にすることが無くなったような気がします。(現在の若い相撲ファンはこのジンクスを知らないんでしょうね。。)
【昭和以降雲龍型の土俵入りを行った横綱】
第63代 旭富士正也
第66代 若乃花勝
第69代 白鵬翔
第70代 日馬富士公平
第73代 照ノ富士春雄
先程話題に出た玉の海ですが、彼が体調不良で巡業を休場している際、同じライバル横綱だった北の富士が、彼のために巡業地で不知火型の土俵入りを披露したと言います。何ともエンターテイナーだった北の富士らしいエピソードですが、歴史上両方の土俵入りを行ったのは彼だけでしょう。。。
横綱土俵入りは誰から教わるのか?
ここまで横綱土俵入りの種類についてご紹介してきましたが、最後にこの疑問にお答えして今回は終了したいと思います。
「横綱土俵入りは誰に教わるのか?」
本来であれば、師匠が元横綱で、弟子が横綱昇進した際に伝授するのが理想的なのですが、これはかなり難しいことになるので、一般的には「一門の中にいる元横綱」になります。
大の里が稀勢の里に伝授された際少し話題になりましたが、初代若ノ花→隆の里→稀勢の里→大の里という歴代横綱の弟子が横綱というのは奇跡なので、師匠が直接教える瞬間を見ることは稀です。
相撲ファンの中には、二所ノ関一門は雲竜型、伊勢ヶ浜一門は不知火型、という一門の横綱土俵入りのイメージを持っている方もいらっしゃるかと思いますが(私も持っています)、これは元横綱が自分の型を後輩横綱に伝授し、その横綱がまた次の世代に教えてきた結果として、その一門の横綱が行う土俵入りが分かれているような気もします。
土俵入りの型は、横綱が自身で選ぶことが出来ますが、先にかいたような背景に加えて、昇進時に横綱がいた場合、先輩横綱のバランスを見て選ぶ傾向もあります。※雲竜が2人であれば不知火を選択など。
横綱土俵入りは、横綱だけに許された特別な儀式です。綱の締め方、せり上がりの角度、柏手の間合い、雲竜と不知火で異なる所作の意味、細部のすべてに「横綱である意味」が詰まっています。だからこそ、映像などではなく、実際に横綱を務めた人物から直接学ぶ必要があるのです。
そして教える側にとっても、横綱土俵入りを伝えることは、自らの横綱人生を次代につなぐ行為でもあるのです。結果として、「教わった型を、同じ一門でまた教える」という流れが自然に生まれ、それが伝統として受け継がれてきたのでしょう。
現在は、豊昇龍、大の里、二人の横綱がしています。本場所では、ぜひ今回書かせて頂いた背景や意味なども頭の片隅に置きながら、横綱土俵入りを堪能してほしいと思います。
