今場所の炎鵬に全勝優勝が必要だった理由

初日から6連勝!見えたぞ再十両

幕下十一枚目という地位で初場所を迎えた炎鵬でしたが、まだ二桁の地位だったため、「再びここまで戻って来たか」という視線はあったものの、 場所前はそれほど注目は集まらず、静かな中で初日を迎えました。

一番相撲。相手は東誠竜。低い立ち合いから最後はヒヤッとする場面もありましたが、相手の体勢を崩して白星発進。続く二番相撲では十両復帰を目指す大辻、三番相撲では藤島部屋期待の藤壮大を相手に、炎鵬らしいスピードと判断力が冴え渡る相撲で勝利。

勝ち越しの掛かった四番相撲となった春山戦も、上手く回り込んでの勝利でストレート給金。

その後も五番相撲の豪ノ湖戦、そして六番相撲の栃丸戦と、いずれも簡単な相撲ではありませんでしたが、攻防の中で相手の力を利用しながら崩す相撲は健在で、かつて幕内で喝采を浴びた炎鵬らしい相撲で、見事一番相撲から6連勝を飾りました。

そして全勝で迎えた十三日目。七番相撲を迎えます。

この一番に勝利すれば、約三年ぶりとなる十両復帰がほぼ確実となる重要な一番。同じ星同士の対戦が組まれる幕下以下の土俵、相手はyouyubeの二子山チャンネルでもおなじみの延原でした。

関取陥落時には、引退も現実的に語られた大怪我を乗り越え、ここまで戻ってきた炎鵬は再び関取に戻れるのか?相撲ファンの多くが固唾をのんで見守った十三日目の土俵でしたが、実はそのドラマ性だけが理由ではありませんでした。

この一番には、炎鵬にとって今後の相撲人生を左右しかねない、極めて大きな意味があったのです。

大きな差がある十両と幕下の境目

以前のブログでもご紹介させて頂いたように、大相撲界において「幕下」と「十両」の間には、番付表の一段差では済まされないほどの大きな隔たりがあります。

 

 

大銀杏を結い、化粧まわしを付けての土俵入り。本場所に身に付ける締め込みや外出時の服装。付き人が身の回りの世話をしてくれる部屋内での立場、巡業や本場所での扱いまで、力士としての「生活そのもの」が根本から変わるのが十両という番付になります。

相撲界においては、幕下まではあくまで「力士見習い」の延長線上であり、十両に昇進して初めて「力士」として一人前と認められます。この差を、私は以前の記事で「天と地ほどの開きがある」と表現しましたが、それは決して誇張ではありません。

そして、何より給料が出るのは十両からになります。今場所の炎鵬のケースでいえば、現在は場所手当が10万円程度出るだけですが、十両関取になればたとえ一番下の枚数であっても、100万円以上の給与を手にすることが出来ます(厳密に言えばもっと+αありますが)。

番付編成上、幕下十五枚目以内で全勝優勝を果たした力士は、最優先で十両に昇進することが暗黙の了解、いわば十両への“確約の切符”となっています。

そのため、炎鵬が今場所在位していた幕下十一枚目という地位は、全勝さえすれば「誰からも文句なく十両昇進」出来、逆に言えば「一敗した瞬間にその道は立たれる」そんな地位だったのです。

6勝というのは好成績ではありますが、どんなに上がったとしても3枚目前後と予想され、勝つか負けるかで来場所の炎鵬の待遇は大きくのです。

だからこそ、今場所の炎鵬に求められていたのは「好成績」ではなく「全勝」のみでした。十両と幕下の差を知る者ほど、この七番相撲に懸かる重みを理解していたのです。

そして、今回の一番は更に「関取復帰」という話だけでは終わらない理由もありました。

年寄名跡の襲名条件にあと1つ足りない炎鵬

炎鵬にとって、今場所の全勝が重要だったもう一つの理由は、彼の将来を見据えた、もっと現実的で切実な問題にも直結していました。

それが年寄名跡の襲名条件です。

以前年寄株について詳しく書いた記事でも触れましたが、現役引退後に日本相撲協会に残り、親方として後進を指導したり、相撲界の運営に携わったりするためには、年寄名跡を取得し、なおかつ襲名条件を満たしていなければなりません。

 

 

現役時代どんな名力士だったとしても、年寄名跡が無ければ相撲協会には残れず、引退した瞬間から相撲協会の人間ではなくなり、二度と協会に戻ってくることは出来ません。

その年寄名跡ですが、元力士であれば誰でも襲名出来るわけではなく、襲名するためには大きく分けて三つの条件があります。

①最高位が小結以上であること
②幕内通算在位が二十場所以上であること
③十両以上(関取)で通算三十場所以上在位していること

このいずれかを満たすことで初めて年寄を襲名することが出来、相撲協会に残る資格が得られます。仮に購入資金があったとしても、3つの条件のどれも該当しなければ協会には残ることは出来ません。

炎鵬の場合、これまで関取として人気もあり経験も積んできましたが、これまで幕内9場所、十両20場所と、関取通算在位まで「あと一場所」足りない状況でした。

右目の眼窩底骨折、そこから続いた頚部椎間板ヘルニア、脊髄損傷。怪我が重なり、序ノ口まで番付を落とした時点で、引退が現実味を帯びましたが、もしあの時点で土俵を去っていれば、炎鵬は年寄襲名条件を満たすことなく、角界を離れる可能性は高かったでしょう(当時の年寄名跡の状況を鑑みると)。

だからこそ彼は、もう一度関取に戻る必要があったのです。

今場所の全勝はイコール「十両復帰」となり、来場所は関取として土俵に立ち、見事に関取在位三十場所という条件もクリアすることが出来ます。

その意味を知る相撲ファン達は、この一番が番付や成績以上に、炎鵬の人生にとって重要な意味を持っていることを知っていました。

十両復帰ならず、それでも続く炎鵬の物語

注目された七番相撲でしたが、結果は延原の完勝に終わり、炎鵬の来場所での十両復帰はなくなりました。

しかし、来場所の番付を見据えれば、恐らく幕下3枚目辺りへの浮上は出来るのではないでしょうか?

怪我による陥落以降では、休場していた幕下筆頭を除けば実質的な最高位。ここまで戻ってきたこと自体が、十分に評価されるべきでしょう。

来場所炎鵬の主戦場となる「幕下五枚目以内」は、関取を目指す力士と関取復帰を目指す実力者がひしめき合う、大相撲の中で最も激戦とされる地位になります。

それでも、序ノ口まで落ち、引退をささやかれながらも、ここまではい上がってきた炎鵬なら、きっともう一度、関取の座に手が届くはずです。

覚えていますか?今から6年前のまだコロナ禍になる前、2020年の元日、そごう・西武が朝日新聞に掲載した炎鵬を起用した広告。

そこには、こんな言葉がありました。

「どうせ奇跡なんか起こらない。 わたしは、その言葉を信じない。大逆転は、起こりうる。」

桜咲く春場所の土俵を乗り越え、炎鵬が再び十両の土俵に立つ日を、多くの相撲ファンが祈っています。

そして最後に。多くの注目と重圧の中、自分の相撲を取り切り、見事幕下優勝を果たした延原。素晴らしい一番だったと思います。幕下優勝、本当におめでとうございました。

 

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