大相撲最大の魅力
「大相撲のどこに惹かれるのか?何が魅力なのか?」時々こんな質問をされることがありますが、その理由の一つとして「十両と幕下の境界線にある人間ドラマ」を挙げることが出来ます。
相撲ファン以外の多くの方は、午後16時以降にNHKで放送されている、いわゆる幕内の土俵を「大相撲」と認識されていらっしゃるかと思います。
しかし相撲界に在籍している力士の中で、あの舞台に立つことが出来るのは全体の一握りであり、多くの力士達は観客もまばらな薄暗い館内で、稽古土俵と同じ廻しを締めて7日間だけ相撲をとっているのです。
彼らが憧れる「光の当たる土俵」には十両以上に昇進しなければ上がることは出来ません。
今回は、そんな力士達が憧れ、待遇が180度変わると言われる「十両」という地位について、何がどう変わるのかを詳しく書いていきたいと思います。
十両になると立場が変わる
関取と力士養成員
相撲協会には多くの力士が所属していますが、その分類は「関取」と「力士養成員」の2つに分けることが出来ます。
「力士養成員」とは幕下以下の力士を指す言葉であり(若い衆とも呼ばれる)、彼らは修行中の身で一人前とは認められていません。一方「関取」とは十両以上の力士を指す言葉で、力士会にも所属しており相撲協会の中でも一人前として扱われます。
これは年齢や相撲界での経験年数は一切関係なく、全てが番付で決定するものです。20年在籍していても幕下以下であれば修行中であり、入門したばかりでも関取であれば一人前として認められます。
幕下力士が「幕下のくせに生意気だ!」と怒られたことも、関取であれば認められるので、一般社会で言えば、若い頃両親に「子供のくせに!」と怒られたことと同じような感覚です。
一人前でない立場ですので、幕下以下の力士はサインをすることが出来ません。 その力士のファンだったとしても、まだ幕下以下の番付であればサインをお願いすることはやめて、関取になるまで応援を続けて下さい。
ちなみに、四股名の後ろに「関」を付けて、「○○関」と呼ぶのを聞いたことがあると思いますが、これは十両以上の関取にのみ使う呼称です。幕下以下の力士は「○○さん」と呼んでください。
この「十両=一人前」という考え方こそが、十両と幕下以下の待遇が大きく変わってくる根本的な理由になるのです。
給料がもらえる
意外に知られていませんが、力士養成員には給料がありません。
幕下以下の力士が決まって手に出来るお金は、「場所手当」という本場所が終わるごとに番付によって支給される手当のみです(幕下:16万5千円、三段目:11万円、二段目:8万8千円、序ノ口:7万7千円という金額が2カ月に一回支給されます)。
「え?生活出来ないのでは?」と思われるかもしれませんが、そもそも力士は部屋に住み込みで集団生活をしているので、食費と家賃が不要で、着物も支給されます(力士養成員一人に対して、協会から部屋に補助金が年間180万ほど支給されれていますので、基本的にはそれで部屋が食費などを賄っているというシステムです)。
それが十両に昇進した途端、最低でも月に100万円以上の月給になるのですから、番付が半枚違う(西十両14枚目と東幕下筆頭)だけで、天と地ほどの違いになるわけです。
力士の給料についてはこちらの記事で詳しくまとめています。
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部屋での待遇が変わる
個室がもらえる
相撲部屋では、幕下以下の力士は全員が大部屋で集団生活をしているのですが、十両になると個室を与えられ、畳一畳を自分のスペースで使用していた生活から脱却し、プライベート空間を持つことが出来るようになります。
幼い頃から自分の部屋を持つ子供も増えましたが、「個室」というのは多くの力士にとって憧れの空間なのです。
一人暮らしの許可が出るのも十両以上からになるので(そもそも家賃が払えないので)、自身でマンションを借りていたり、関取数が多く個室数が足りない部屋では、年長関取が一人暮らしをしている部屋もあるようです。
雑用がなくなる
一人前と認められる関取は、個室への移動だけでなく部屋での生活にも大きな変化が出てきます。
集団生活の相撲部屋では身の回りのことは自分たちで行いますので、力士達は日々の稽古だけでなく、掃除や洗濯、食事の準備(いわゆるちゃんこ番)など様々な仕事があります。
しかし関取はもう修行中の身ではないので、これらの雑用は一切なく、稽古が終われば先に風呂に入り、ちゃんこも出来た状態で先に食べる事が出来ます。
一方幕下以下の力士は、関取の食事中は給仕をし、関取の食事が終わると自分たちの食事と、その後かたずけを行います。
稽古場で廻しの色が変わる
幕下以下の力士は、稽古場で締めている繻子で出来た黒色の廻しを、稽古場と本場所両方で使用していますが、十両に昇進すると、この稽古場での廻しが白い木綿の物に変わります。
黒い廻しを締めた力士達に混じった白廻しの力士、やはり強そうに見えてくるものです。
関取昇進した実感を感じる瞬間として、稽古場で白廻しを身に付けた時を挙げる力士もいます。
関取は服装が変わる
羽織袴の着用が出来る
相撲界では番付によって着用出来るものが異なってきます。
そのため、幕下以下の力士でも細かい部分で違いはあるのですが、関取になると、場所入りや正式な行事(断髪式・千秋楽パーティー・優勝撮影など)では、羽織袴の着用が許可されるようになるので、一見して見分けがつくようになります。
羽織袴姿で颯爽と場所入りする関取は、貫禄十分必見の価値ありです。ぜひ場所入りの姿もチェックしてみて下さい。
また一見分かりにくいのですが、関取になると足元にも変化が生じます。これまで履いていたエナメルの雪駄が畳敷きの物に変わり、足袋も白足袋を履くことが許されますので、さり気なくここもチェックしてみて下さい。
付き人が付く
羽織袴姿で颯爽と場所入りする関取の後ろを、荷物を持って追いかける力士を見かけると思いますが、関取になると身の回り世話をしてくれる付き人が付きます。
彼らは本場所の支度部屋で常に関取の近くにおり、廻しを締める手伝いや、立ち合いの練習相手、花道に行くタイミングを伝えたりなど、関取が土俵に集中するための環境づくりを行います。
テレビなどで、花道を引き揚げてくる力士の下がりや懸賞金を受け取る力士を見ることがあると思いますが、彼が付き人です。
ちなみに付き人は十両で2~3名、幕内で3~4名、横綱は10名も付きますが(綱を締めなければならないので)、花道の奥にいるのは付き人頭(付き人のトップ)であることが多いようです。
付き人は自身の部屋から選ばれ、足りない場合は一門の幕下以下の力士が努めます。
明け荷が贈られる
十両に昇進すると、自身の四股名が入った竹で編んだ「明け荷」と呼ばれる大きな箱を贈られます。
この明け荷とは、化粧廻し・締め込み・着替え・下がりなど必要な物を携帯するための力士用つづらであり、場所の初日に付き人が支度部屋に運び込み、千秋楽に運び出します。明け荷は、巡業時も付き人が巡業地毎に運び込んでいるので、力士達と共に全国を旅しています。
ちなみにこの明け荷ですが、後援会などから贈られる物ではなく、同期生達が贈る習わしになっているので、圧倒的に出世の早い力士がいると周りは困るしきたりなのかもしれません(笑)
明け荷を担いだ付き人が歩く姿は、初日や千秋楽だけに見られる光景です。
本場所が変わる
15日間相撲を取る
幕下以下の力士は、1場所15日間毎日取組があります。
負けても日にちが空かない為、気持ちを切り替えやすいという力意見がある一方で、毎日相撲をとるので体力的にきついという意見もあります。
しかし力士は「15日間相撲をとる」ことがあるべき姿なので、この15日間を乗り越える体力は、力士として必須条件になるのでしょう。
推し力士のいる相撲ファンにとっては、自身の現地観戦時にその力士の取組が必ずあるので、関取付きで場所に来ていた時に比べて、十両昇進するとそんな楽しみも増えるかもしれません。
大銀杏が結える
十両に昇進すると、それまでの丁髷ではなく「大銀杏」と呼ばれる髷の先端を、大きなイチョウの葉に似せた結い方をすることが出来、その髷姿で相撲を取ります(十両と取組のある幕下力士も特例で大銀杏を結うことが出来ます)。
関取は取組を行う際、原則として大銀杏で土俵に上がることが義務付けられているますが、だからと言って「禿げたら引退」というのはただの噂です。
ただし露払いや太刀持ちに関しては、大銀杏を結うことが出来ない力士は選ばれないようです。
土俵入りを行える
関取に昇進すると、土俵入りに参加することが出来ます。土俵入りとは、十両・幕内それぞれ最初の取組が始まる前、東西毎の力士が一人ずつ紹介され、土俵に上がっていくという儀式です。※それの最上位版が横綱土俵入りです。
簡単に言えば、「今日東方(西方)から土俵に上がる十両(幕内)の力士を、一人づつ四股名、所属部屋、出身地を含めて紹介します」というようなイベントです。
薄暗かった土俵が一気に明るくなり、名もなき力士が郷土の英雄になる晴れがましい瞬間です。
化粧まわしが贈られる
十両土俵入り時、力士は「化粧まわし」と呼ばれる前垂状のまわしを着用して土俵に上がります。
この化粧まわしは、前垂れに西陣織や博多織の様々なデザインが刺繍された大変高価な物なのですが、十両昇進するとこの化粧まわしを贈って頂くことが出来ます(贈られることが決まっているわけではないですが)。
部屋の規模(親方の人気も関係)や、状況(その他関取の数や彼らの番付)にもよりますが、部屋の後援会、郷土の後援会などが贈ってくれることが多いようです。
元力士の方が経営している飲食店などで、飾られているのを見かけた方もいらっしゃるかもしれませんが、店主が関取の座を手にした輝かしい証なのです。
締込を着けて土俵に上がる
関取は、本場所の取組時に「締込」と呼ばれる絹製の廻しを着けて、土俵に上がることが出来ます。テレビでよく見かける、前にパラパラと下がりが垂れているあの廻しのことです。
幕下以下の頃は、稽古場と同じ黒い廻しで土俵に上がっていたので、締込を着けて本場所の土俵に上がる姿を見ると、同じ力士でも先場所までとは全くの別人に映るはずです。
本場所でまだ真新しい締込を見ると、新十両力士の初々しさを感じます。
土俵上での所も変わる
本場所で、十両と幕下の土俵を見比べると、(身に付けている物以外でも)細かい部分で多くの違いを見つけることができます。
「塩撒き」。意外に知られていませんが、幕下以下のほとんどの力士は塩を撒くことが出来ません。
「力水」。勝ち残った力士が、次に相撲を取る力士に水を付けますが、あれも十両以上での所作です。
「仕切り時間」。相撲は仕切りを重ねながら取り組んでいきますが、この時間が長くなります(幕内に上がると更に長くなる)。
「座布団」。自分の取組を待つ間は土俵下に控えていますが、十両以上の力士時座布団を使用することが出来ます。ちなみに幕内に上がれば自身の四股名の入った座布団が使用できます。
タクシーで場所いり
幕下以下の力士は、公共交通機関を使用して場所入りしていますが、関取以上になれば車で場所入りすることが許可されます。
国技館前に車を止めて降りてくる関取や、部屋に戻る為にタクシーを止める付き人を見たことがある方も多いのではないでしょうか?
ちなみに運転手付きの車を使用出来るのは幕内になってからです。
一足先に番付発表
長文にはなりましたが、関取に昇進するとこれだけ多くの違いがあります。
引退会見で嬉しかった出来事として、「十両昇進を決めた一番」や「十両昇進が決まった瞬間」を上げる力士が多いことに、納得して頂けるのではないでしょうか?
本場所終了後の水曜日に開催される番付編成会議では、横綱・大関の昇進だけでなく、一足早く十両昇進力士も決定します。
理由はここまで読んで頂ければ分かるように、関取昇進するとやらなければいけないことが沢山あるからで、通常の番付発表がある本場所の2週間前ではとうてい間に合わないのです。
千秋楽が明けた翌週の水曜日。多くの力士達のドラマが動く一日になりますので、ぜひ注目して頂きたいと思います。