力士の廃業と引退は何が違うのか?

今年も多くの力士が土俵を去る

栃ノ心、隠岐の海、逸ノ城、千代の国、徳勝龍、石浦、明瀬山、鏡桜など、2023年も多くの名力士達が惜しまれつつ引退をしました。

隠岐の海は君ヶ濱親方、千代の国は佐ノ山親方、徳勝龍は千田川 親方、石浦は間垣親方、明瀬山は井筒親方として相撲協会に残りましたが、栃ノ心や逸ノ城、鏡桜らの力士は親方として協会には残らず、第二の人生を歩むことになりました。

現役引退後も相撲協会に残るためには、年寄名跡いわゆる「親方株」が必要になり、その取得金額は「数億円」とも言われています。

彼らが引退後も相撲協会に残りたかったのかどうか?の真意は不明ですが、とにかく引退後に「相撲協会に残る力士」と「相撲協会から去る力士」に分かれるわけです。

実はこの「力士の現役引退」。いまでこそ「引退」で統一されていますが、以前は引退時の年寄株の取得状況により、「引退」だけでなく「廃業」という呼び方も使われていました。

年寄名跡の仕組みや、取得条件など詳細についての説明は、こちらの記事をご覧ください。

  

 

「廃業」

21世紀以降に(笑)相撲ファンになった方には、聞き慣れない言葉かもしれませんが、かつては「廃業」は相撲界で一般的に使用されていた言葉です。

今回は、力士が土俵を去るにあたり、いつから「引退」に統一されたのか?そしてその要因になったことは何なのか?についてご紹介していきたいと思います。

力士の「廃業」と「引退」の違い

力士の「引退」と「廃業」の使いわけはどこにあるのでしょうか?

廃業:現役を終えて、相撲協会を離れる場合に使用。
引退:現役を終えて、相撲協会に年寄として残る場合をに使用。

結論から言えばこうなります。要は「協会に残るか?残らないのか?」

相撲協会への在籍」のみが条件になるので、最高位など現役時代の実績は関係なく、元大関だろうが元幕内最高優勝経験者だろうが協会を離れるのであれば「廃業」であり、逆に現役中幕内に数場所しか在位していなかったとしても、協会に残るのであれば「引退」という呼び方でした。

この「引退と廃業のルール」を冒頭の力士達で使うと、隠岐の海・千代の国・徳勝龍・石浦、明瀬山は「引退」となり、 栃ノ心・逸ノ城・鏡桜は「廃業」になるわけです。

ちなみに「相撲協会を離れる」というのは、何も引退時に限ることではなく、親方が退職して相撲協会を離れる場合でも「廃業」は使われていましたので、徳勝龍引退に伴い相撲協会を離れた先代千田川親方の闘牙のケースも昔であれば「廃業」だったわけです。

朝青龍や日馬富士といった元横綱だったとしても、引退時のあの去り方からすれば「廃業」。一代年寄だった貴乃花親方も「廃業」。

かつての相撲界において「引退」することができる力士は、ごく一握だけだったのです。

廃業廃止のきっかけは衆議院選挙?

一体いつから、そしてなぜ、この「廃業」という表現が使われなくなったのでしょうか?

「廃業」という呼び方が使われなくなった理由は、現役力士が角界を去り衆議院議員になったことがきっかけになっています。

もう少し詳しく書くと、90年代に小兵力士として幕内で活躍し人気のあった「徳之島のハブ」こと旭道山から、平成8年の秋場所後に突然来る衆議院選挙に出馬すると発表があったのです。

当時の旭道山は32-33歳。長い幕内生活で満身創痍ではありましたが人気もあり、秋場所の番付は前頭9枚目(6勝9敗)と現役を終えるにはまだ早く、相撲ファンにとってこの発表は寝耳に水状態でした。

発表後、旭道山はすぐに「廃業届」を相撲協会に提出したものの当時の境川理事長(元横綱佐田の山)は受理をせず一旦保留となりました。

この相撲協会の対応から、「万が一選挙に落選しても戻れるのではないか?」などという憶測が一部噂であったようですが、これは理事長が「髷を付けて力士旭道山」として選挙活動が出来ることを暗に容認してくれただけで、なかなか粋な話だと感じた記憶があります。

結果的に旭道山は何とかギリギリで当選を果たし、角界から国会に転身したわけですが、その際に「国会議員が廃業と言われるのは世間的に聞こえが悪い」などという意見があったようで、それ以降、相撲協会に残る・残らない問わず、全員「引退」に統一されることになりました。

細かいことを言うと、旭道山の「廃業」がきっかけになっただけで、彼自身は相撲協会を廃業して国会議員になっているんですけどね(笑)

旭道山は、番付上では前頭14枚目で迎えた平成8年九州場所が引退場所となっており、最後の廃業力士になりました。

ということで、「廃業」という呼び方が無くなったきっかけは旭道山の選挙出馬で、「引退統一」の始まりは平成8年九州からになると思われます。
※その九州場所で現役を終えた元十両の大倭は「引退」となっています。

「廃業」の話と直接は関係ないですが、旭道山さんの引退に関して個人的には非常に残念だったと思います。年齢的な部分や当時の状況から考え、現役を続けることが出来たのはあと数年だったと思うのですが、引退後相撲協会に残っていたなら、その後の大島部屋の流れが若干変わっていたような気もするからです(結果的に旭天鵬になったので良かったですが)。

元大関が廃業危機になるほど、今以上に年寄名跡が不足していたので難しかったのかもしれませんが。。。

旭道山さんについては、こちらの書籍をお読みください。現役引退直後に出版された一冊です。相撲だけでなく選挙戦についても触れています。

結局「引退」に統一して良かったのか?

長々と引退と廃業について書かせて頂きましたが、かつて相撲界にあった「廃業」ご理解頂けましたでしょうか?

何か制度が変わったわけではなく、表現が変わっただけになるのですが、「引退」という呼び方に統一されて良かったのではないかと思っています。

私が「廃業」という言葉を初めて身近に感じたのが、この力士引退に関してだったのですが、当時非常に寂しい響きを感じていました。

「引退」が力士生活を引く・退くという表現なのに対して、「廃業」は力士であったという生業を廃する。最高位に関わらず、長く現役を続けた力士ほどこの表現は虚しさを感じさせる響きです。

大きな力士を一発で張り倒し、若貴時代の名脇役として大いに土俵を盛り上げた旭道山さん。結局政治家として活動したのは1期のみであり、現在は芸能活動などマルチに活躍しています。

政界でどれほどの功績を残したのか?良く分かりませんが、この「廃業」という表現を廃した(結果的にではありますが)功績は、今も角界において非常に輝くものだと個人的には思っています。

さて、明日からは旭道山さん準ご当所九州場所です。

 

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