ピンチが続く正代
タイトルを読んだ正代ファンや熊本の人に怒られてしまいそうですが、今回は正代にフォーカスをしたいと思います。
令和2年九州場所に大関昇進を果たし、今や照ノ富士・貴景勝と共に相撲協会の看板を担っている大関正代ですが、勝ち越しがやっとの成績だけでなく、受けに回りながら土俵際で逆転する相撲内容や、終盤戦になると精神的なプレッシャーからくる顔のニキビ?など頼りなさを指摘する声が相次いでいます。
しかし正代の場合は、そもそも顔つきが優しそうなことや、何よりあの有名な昇進会見を始めとした「弱気発言」で付いたイメージが、より一層頼りなさに滑車をかけているような気もします。
この1年間優勝はおろか、優勝争いや二桁勝利さえなく、春場所は3度目のカド番で迎えます。
まさにピンチが続く正代に対して、お世辞にも「強い大関」という印象を持っている相撲ファンは殆んどいないでしょう。
とは言え、少なくとも大関昇進の目安とされる3場所33勝(正代は32勝)を挙げて大関に昇進しているわけで、弱ければ大関の座を手にすることは出来ないはずです。
ここから先は、正代が本当に弱いのか?相応しくない大関昇進だったのか?を見ていきたいと思います。
最近の大関昇進事情
まずは、正代の大関昇進が甘かったのか?上げるべきではなかったのか?について。
ちなみに昇進当時の横綱や大関の人数、上位との対戦があったのか?という指標が重要なのは分かっていますが、今回は調べるのが面倒だったので無視したいと思います(笑)。
大関昇進の目安は3場所で33勝と言われていますが、今回はもう少し長めにして昇進5場所前までの成績を参考にしたいと思います。
正代が(番付上)大関昇進したのが令和2年九州場所になるので、前年の九州場所からの5場所を対象とすると(夏場所がコロナで中止のため)、
11勝、13勝、8勝、11勝、13勝(優勝)で合計56勝(平均11.2勝)
一場所辺りの平均勝利数が11勝を超えており、勝星で見る限りでは優秀だと思います。
基準が分からないという方のために、2000年代前後から最高位が大関だった力士をピックアップして、同じ期間の数字を並べてみました。※昭和の頃は現在ではありえない星での昇進もあったので2000年前後以降にしています。
千代大海:8勝、11勝、9勝、10勝、13勝(優勝)。合計51勝(平均10.2勝)
出島:9勝、8勝、9勝、11勝、13勝(優勝)。合計50勝(平均10勝)
武双山:11勝、8勝、10勝、13勝(優勝)、12勝。合計54勝(平均10.8勝)
魁皇:11勝、7勝、8勝、14勝(優勝)、11勝。合計51勝(平均10.2勝)
雅山:10勝、8勝、12勝、11勝、11勝。合計52勝(平均10.4勝)
琴欧洲:4勝、10勝、12勝、13勝、11勝。合計50勝 (平均10勝)
琴光喜:9勝、8勝、10勝、12勝、13勝。合計52勝 (平均10.4勝)
把瑠都:11勝、12勝、9勝、12勝、14勝。合計58勝 (平均11.6勝)
琴奨菊:9勝、11勝、10勝、11要、12勝。合計53勝 (平均10.6勝)
豪栄道:8勝、8勝、12勝、8勝、12勝。合計48勝 (平均9.6勝)
高安:10勝、7勝、11勝、12勝、11勝。合計52勝 (平均10.4勝)
貴景勝:10勝、9勝、13勝(優勝)、11勝、10勝。合計53勝 (平均10.6勝)
朝乃山:7勝、10勝、11勝、10勝、11勝。合計49勝 (平均9.8勝)
やはり把瑠都は凄かったとまず思ってしまいましたが、その把瑠都に次ぐ56勝を挙げている正代。 この二人に関しては直前5場所でも平均11勝を超えています。
昇進時直前3場所32勝を不安視する声もありましたが、むしろ安定感という点でみると、大関になるべき成績だったと言えます。
大関昇進後の成績を見る
正代の大関昇進に関しては妥当な成績と昇進だったことが分かりましたが、次に見てみたいのが昇進後の状況です。
初場所まで正代は大関を8場所勤めてきましたがその間の成績を見てみると、、、
61勝(平均7.6勝):優勝なし、負け越し3回、二桁1回
平均勝利数で既に負け越しており、カド番が3回。
昇進後の成績はおよそ大関らしくなく、多くの方が抱いている現在のイメージに合致しているはずです。
しかし正代一人の成績では何とも言えませんので、再び先程の大関陣の同じ時期の数字も改めて見てみたいと思います。
千代大海:60勝(平均7.5勝):負け越し2回、二桁2回
出島:77勝(平均9.6勝):負け越しなし、二桁5回
武双山:63勝(平均7.8勝):負け越し2回、二桁2回
魁皇:71勝(平均8.8勝):優勝2回、負け越し2回、二桁6回
雅山:57勝(平均7.1勝):負け越し3回、二桁なし
琴欧洲:72勝(平均9勝):負け越しなし、二桁3回
琴光喜:75勝(平均9.3勝):負け越しなし、二桁4回
把瑠都:78勝(平均9.7勝):負け越しなし、二桁5回
琴奨菊:66勝(平均8.2勝):負け越し1回、二桁3回
豪栄道: 61勝(平均7.6勝):負け越し2回、二桁なし
高安:62勝(平均7.5勝):負け越し2回、二桁3回
貴景勝:62勝(平均7.7勝):負け越し3回、二桁3回
朝乃山:51勝(平均8.5勝):負け越し2回、二桁4回 ※6場所
ここでも把瑠都の充実ぶりが分かりますが、大関の勝ち越しと言われている10勝を平均して挙げている力士はおらず、8場所の半分以上で二桁を挙げている力士に限っても5人だけ、優勝したのも魁皇のみと、全体的に昇進時の勢いが失速しているような印象を受けます。
やはり「挑戦する立場」から「挑戦される立場」に変わる大関という地位では、勝ち続けることが一層難しくなるのかもしれません。
今回はデータを調べていませんが、昇進前と同じかもしくはそれ以上の成績を納めている力士は、恐らく横綱に昇進している「横綱型大関」となるのでしょう。
昇進後の数字になると、正代は全体でも下の方の成績になり、「一気に駆け上がったものの、大関という地位になったタイミングで苦戦する」という、典型的な「大関型」のキャリアを描いています。
特に正代の場合、他に突出して芳しくない訳ではありませんが「皆勤して星が伸びていない場所」が多く、それが彼のイメージと相成ってより「弱い大関」という世間への印象になっていることも否めないでしょう。
正代は結局弱いのか?
今回のテーマ、「正代は弱い大関なのか?」
ここまでの結果をもってすると、強く否定出来る結果にはなりませんでした。
しかしこれまでの大関陣と比べた時、決して悲観する内容だけではありません。
昇進前の成績も安定感を欠き、昇進後も同じように苦戦した豪栄道でしたが、大和魂で踏ん張り後に全勝優勝も飾りました。
今年こそは、強い大関として地元に凱旋しなければなりません。
3度目のカド番となる春場所は正念場になります。
※今度は横綱昇進した力士の数字を、調べてみたいと思います。