総合格闘家で大相撲の元幕内・戦闘竜さんが、1月29日に都内の病院で亡くなったそうです。肺の疾患を抱え闘病中だったようで、最近もSNSでその闘病ぶりを掲載していましたが、 突然の知らせに、現役時代を知る相撲ファンの多くが驚いたことでしょう。まだ56歳の若さでした。。。
戦闘竜(以下継承省略)は、日本人の母とアメリカ人の父の間に立川の米軍基地で生まれ、幼少期を日本で過ごしました。その後6歳の時にアメリカ・ミズーリ州セントルイスへ移住したそうですので、実は日本生まれのアメリカ人です。
高校時代にはアメリカンフットボールとレスリングで活躍。大相撲時代にも垣間見せていた、あのパワーとスピード、そして勝負勘は、若い頃の経験から身体にしみ込んでいたのかもしれません。
そんな戦闘竜青年が大相撲の世界へ飛び込んだのは、高校を卒業して18歳になった頃でした。親戚に勧誘され、再び日本の地を踏み友綱部屋(元魁輝 )に入門 しました。
幼少期を日本で過ごしていたとはいえ、異国で育った青年が、日本語も、礼儀作法も、相撲の所作も一から学び、国技の世界に身を投じる決断は、並大抵の覚悟ではなかったはずです。
四股名の「戦闘竜」は、彼が青春時代を過ごしたセントルイスへの想いを込めて名付けられたと言われていますが、まさにその四股名の通り、彼の人生は“戦い続けること”そのものになりました。
新十両からの転落、4年間の幕下生活
1988年名古屋場所に初土俵を踏んだ戦闘竜は、苦戦しながらも徐々に番付を上げ、1994年九州場所ついに新十両昇進を果たします。
しかし、十両の壁は厚く、新十両場所は9勝6敗と勝ち越したもの、わずか2場所で十両から陥落。その後は、26場所約4年間と長きに渡り幕下で再十両を目指し奮闘することになりました。
幕下という番付は給料もなく、付き人も付かず、身に付ける物も変わるなど、十両と比べると生活が一変する地位です。そのため十両を経験した力士が幕下に陥落することで、精神的に耐えきれず角界を去るケースも少なくありません。
そんな状況の中、戦闘竜は腐らず稽古を続け、ついに1999年夏場所、全勝優勝を手土産に見事十両復帰を果たしました。
当時、新十両勝ち越し→次の場所で負け越し→幕下陥落→数場所相撲を取るが幕下中位~下位に陥落→引退。そんな力士を多く見て来ただけに「もう一度、関取に戻る」という一心で黙々と土俵に上がり続けた、4年という歳月をかけて十両復帰した戦闘竜の姿は立派でした。
小さな身体で掴んだ再十両、そして新入幕
コツコツ積み上げた努力は裏切らず、再び十両へと返り咲いた戦闘竜でしたが、今度は十両の地位を守り、ついに2000年名古屋場所新入幕を果たします。
初土俵から12年というこの新入幕は、「アメリカ本土出身者として初の幕内力士」ということも重なり、当時は話題になりました。
幕内昇進を果たした戦闘竜でしたが、相撲の固さや力士としては小兵ということもあり、幕内の土俵では苦戦を強いられます。
また、怪我との戦いも続きました。特にアキレス腱断裂は、力士生命を揺るがす大怪我でしたが、それでも土俵に戻ってきた彼の姿は、多くの相撲ファンの記憶に残っています。
外国人力士と言えば、高見山や小錦に憧れ相撲界の扉を叩く「ハワイ出身」というのが当たり前の時代、相撲文化とは無縁の土地で育った青年が、国技の最高峰に辿り着いた。それは、相撲界において当時珍しいケースでした。
怪我で再び幕下に陥落した戦闘竜でしたが、有終の美を飾るかの如く再度十両に復帰し、その翌場所となる2003年九州場所に土俵を去ります。
結局幕内在位は2場所。最高位は前頭12枚目で終わりましたが、12年分の挫折と努力、そして想いの詰まった土俵人生でした。
魁皇との関係、兄弟子としての絆
戦闘竜を語る上で忘れてはいけないのが兄弟子である魁皇の存在。
同じ友綱部屋には、後に大関として一時代を築く魁皇が2場所先輩で所属していました。体格も相撲の型もまったく違う二人ですが、同じ釜の飯を食った兄弟子・弟弟子としての絆は深かったと言われています。
引退後に格闘家としてK-1やPRIDEのリングに上がっていた戦闘竜を、魁皇は観戦するなど交流は続き、最後まで気にかけ合う関係だったことが伝えられています。
魁皇が親方を努める浅香山のインスタグラムでは、戦闘竜について写真とコメントが掲載されており、その絆の深さを知ることができます。
亡くなる直前魁皇は病院に駆けつけたと言いますが、「ギリギリ間に合わなかった」そうで、その無念さは、想像するに余りあります。
格闘技の世界へ――「相撲は強いんだよ」
2003年九州場所限りで現役引退をした戦闘竜は、その後格闘家へと転向します。
戦闘竜が格闘家として活動し始めた頃、日本中は格闘ブームで、先に引退していた元横綱曙も格闘技の世界に挑戦していましたが、なかなか初勝利を挙げられず、黒星を重ねる度に「相撲最強説」を否定する声が大きくなっていました。
そんな中で迎えた、ザ・ツイン・タイガーとの試合で初勝利を上げた戦闘竜が試合後のマイクパフォーマンスで放った
「相撲は強いんだよ」
という言葉は、相撲関係者の留飲を下げる強烈なインパクトを残しました。
それは挑発でも虚勢でもなく、相撲に人生を捧げた男の、誇りと信念そのものでした。
戦闘竜は、横綱でも大関でもありません。三役にすら昇進していません。
しかし、異国で育った若者が、未知の相撲界に飛び込み、小さな体で怪我と闘いながら幕内まで上り詰めたことは、今も多くの相撲ファンの記憶に残っています。
心よりご冥福をお祈りいたします。
