無頼ケンカ玉 剛勇横綱 玉錦-二所ノ関一門の開祖-川端要寿

玉錦を知っているか?

突然ですが、横綱玉錦というお相撲さんをご存じでしょうか?

まだ日が浅い相撲ファンも、「双葉山」に関しては名前くらいは耳にしたことがあり、もう少し知っている方であれば不滅の69連勝や相撲の神様といったイメージくらいは持っているのではないでしょうか?

一方で今回紹介する横綱「玉錦」に関しては、イメージはもちろん名前すら聞いたことがないという方がほとんどではないでしょうか?

今回ご紹介させて頂くこちらの書籍は、「双葉山は知ってるけど玉錦は知らない」くらいのファン層に調度いいような気がします(笑)。

古き良きお相撲さん玉錦

不世出の大横綱と言われた双葉山が土俵に君臨する少し前の昭和一桁台、土俵の第一人者として活躍していた横綱が今回の主役玉錦です。

玉錦は現役中に急逝してしまいましたが、幕内最高優勝9回、横綱在位6年、27連勝など横綱としての成績をみると、間違いなく一時代を作った横綱でした。

素行面では最近よく話題になる横綱の品格など何処吹く風で、気性が荒く喧嘩っ早い大酒飲み。暴力団と兄弟分の杯を交わし、現役力士ながら協会に平気で物を言う。しかしいざ相撲となれば「ボロ錦」と言われるほど猛稽古に明け暮れる。そんな昔のお相撲さんの匂いがプンプンするような力士でした。

後に現れる大相撲史上屈指の人気者双葉山の印象があまりにもクリーンすぎるため、何となくヒール役・敵役に思っているファンがいたり、双葉山の放つ光によって目に入りにくくなった前後の「前」の部分に位置する玉錦ですが(後は羽黒山)、双葉山も玉錦という壁はしばらく破れずにいたほどの横綱でした。

悲運の横綱、漢気横綱玉錦

豪快なイメージが強い玉錦ですが、優勝を絡めてもスムーズに大関に昇進できず、横綱に至っては3連覇を果たしてようやく昇進することが出来たなど、当時弱小部屋だった二所ノ関部屋所属という背景や、番付運に泣かされた悲運の横綱という側面もあります(素行が悪いという理由でしたが)。

豪快、悲運、遊び人、稽古の虫など様々な横顔を見せてくれる玉錦の評価は分かれるかもしれません。しかし昭和11年夏場所、7度目の対戦で初めて自身を破り初優勝を飾った双葉山を祝うため、横綱が自ら立浪部屋に駆けつけるなど、その漢っぷりは知れば知るほど魅力のある力士だとも思います。

当時の雰囲気は分かりませんが、最近で言えば「問題児だけど何となく憎めない」朝青龍のようなイメージでしょうか(笑)。祖父も小さい頃玉錦が好きだったと言ってますので、色々と言われていますが人気があったのでしょう。

二所ノ関一門は玉錦が礎を築いた

玉錦は、横綱として土俵上で積み上げた実績は勿論素晴らしいですが、玉錦最大の功績は、今も続く二所ノ関一門の礎を作ったことでしょう。

二所ノ関一門と言えば、若ノ花、大鵬、貴乃花、最近では稀勢の里などがこの流れになります。

有名力士を多く輩出し、今や一大勢力となった二所ノ関一門ですが、玉錦の存在なくしては今日の隆盛は間違いなくありませんでした。

玉錦に敗れた翌日からスタートした双葉山の69連勝。現役中に亡くなった玉錦最後の一番は、1938年夏場所千秋楽連勝中だった双葉山との水入りの一番でした。

知れば知るほど魅力的な横綱玉錦!ぜひお時間のある時に読んで頂きたい1冊です。

 

無頼ケンカ玉 剛勇横綱 玉錦
目次
第1章:少年時代
第2章:新弟子時代
第3章:幕下・十両時代
第4章:幕内・三役時代
第5章:大関昇進
第6章:大関時代
第7章:横綱時代

二所ノ関一門を作った横綱玉錦
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