千代の富士特番が見たい
先代九重親方(千代の富士)が急逝されてから一週間近くがたちました。
千代の富士は実績だけでなく、相撲ファンの枠を超えて全国的に人気者だったため、連日それなりにTVなどワイドショーでも報道されてはいるものの、タイミング的に都知事選やオリンピックが近いということもあってなのか、相撲界で初めて国民栄誉賞を受賞した横綱としては、やや物足りない世間の反応のような気もします。
もう少し報道番組やワイドショーだけでなく、千代の富士特番のようなこともやって欲しい気がするのですが。
そんなこんなで気をもむ毎日ですが、ここは気を取り直して「九重親親方の功績」について書かせて頂きたいと思います。
前回は横綱千代の富士としての功績についてでしたので、今回は後半の親方編ということで。。。
千代の富士、九重親方としての功績は?
昭和三大横綱中郡を抜く親方としての功績
「歴代の横綱が取り組んだら誰が最強か?」
好角家達の間でしばしば繰り広げられる話題です。このテーマに関しては、時代背景や対戦対手なども関わってくるので何とも言えないのですが、大鵬・北の湖・千代の富士いわゆる昭和の三大横綱を並べて、力士としての実力ではなく、親方としての育成力を見た場合、こちらは九重親方(千代の富士)に軍配が上がるのではないでしょうか?
この3親方の中で弟子を育てるという部分に関しては、九重親方の実績は群を抜います。
32回の優勝を誇った大横綱大鵬でしたが、親方としては病気の影響があったものの、巨砲の関脇が最高位、嗣子鵬がしばらく幕内にはいたものの、その他には幕内定着するを育てることは出来ませんでした(十両は多数)。
史上最年少で横綱に昇進した、にくらしいほど強かった北の湖親方は、巌雄(山響親方)の前頭筆頭が最高位(臥牙丸は除く)で、三役力士を育てることは出来ませんでした。※現在も北大樹や北はりまはおりますが、正直役者不足は否めません。
一方の九重親方は、育てた力士の最高位は千代大海の大関。幕内最高優勝も3回飾っております。三役力士にしても千代天山(先代の期間は数か月)、千代大龍、千代鳳、巴富士(内弟子で入門)がおり、幕内や関取となると片手では足りません。
昭和三大横綱をこと弟子育成で比べるてみると、千代の富士が抜きん出ていることが分かると思います。
自ら築いた千代の富士部屋
表面的には北の富士から九重部屋を継承したようにはなっていますが、継承時のいざこざにより、実質的には北の富士時代の九重部屋は八角部屋へと変わり、千代の富士は九重部屋という名前だけを継承した形になりました。
かつての九重部屋の建物は八角部屋になり、タニマチや部屋付き親方も八角部屋へと移動していき、千代の富士の九重部屋はまさにゼロからのスタート。当時ロンリーウルフと書いていた雑誌の記事も見かけました。
しかし千代の富士は現役時代同様、ここでも実績を残し、気が付けば九重部屋は、多くの有望力士や跡継ぎにも恵まれた理想的な部屋へと変貌しました。
引退時、その功績により一代年寄の襲名を認められた千代の富士でしたが、 「自分で終わって欲しくないから」 という理由で、辞退しました。
「千代の富士部屋」でなく「九重部屋」とすることで、もしも自分に何かあった際でもそのまま名前が残るからという想いからでした。
その九重魂は確実に継承され、千代の富士道場・千代魂としてこれからもずっと続いていきます…