巨星落つ千代の富士急逝
2016年7月31日、九重親方(千代の富士)が逝ってしまいました。昨年に病気が発覚してからわずか1年足らず。病気は早期発見と言われていたものの病気以来メディアにはあまり姿を見せおらず、今年の春場所久々に解説で出演されていた姿が顔色も悪く心配していましたが、本当に早すぎる訃報でした。
昨年の北の湖親方に続いて、ここ数年で昭和三大横綱が皆逝ってしまいました。
引退後、九重親方としては相撲協会内での人事に恵まれなかったものの、千代の富士としての力士人生を振り返ると、これほどまでにドラマチックな相撲人生を送った力士は今後現れないのではないか?と思うほど、眩いばかりの光に包まれた力士人生だったように思います。
今回は改めて千代の富士の力士人生を振り返ってみたいと思います。
ドラマチックすぎる千代の富士
脱臼を克服しての復活
千代の富士は1975年秋場所、昭和30年代生まれ初の幕内力士として20歳で新入幕を果たしました。
小柄ながら筋肉質の体にイケメンと、人気の出る要素を全て兼ね備え前途洋々かと思われましたが、体のわりに大きな取り口が原因で怪我をしてすぐに幕下まで陥落。
関取の座も失い自暴自棄になるも、相撲を変え筋肉の鎧を纏うことで脱臼くせを克服して徐々に幕内に定着していきました。
ウルフフィーバー
昭和56年初場所、当時憎らしいほど強いと言われた王者北の湖と優勝争いを繰り広げ、千秋楽での決定戦を制して初優勝を飾り大関昇進。この時の視聴率は52.2%、優勝決定の瞬間最高視聴率は65.3%と、大相撲史上最高の数字をマークしています。
勢いそのままに名古屋場所後には第58代横綱に昇進、1年の間に関脇から横綱まで一気に登り詰めました。これが世に言う「ウルフフィーバー」です。
30代での黄金期
横綱昇進直後に怪我を負って休場、そして昇進した年齢が20代半ばに差し掛かっていたため、優勝をしても周囲からは「短命横綱」という見解が多くあった千代の富士でしたが、実際の全盛期は30歳を過ぎてからでした。
33歳で日本中を沸かせた53連勝を飾り、34歳の時には国民栄誉賞を授与し、さらには大相撲史上初の通算1000勝も達成しました。
その53連勝がストップした伝説の一番が、昭和最後の一番というのも千代の富士らしい幕切れになっています。
まさかの対戦と史上最高の敗戦
数々のドラマを生んだ千代の富士は36歳で引退をするわけですが、引退時に最大のドラマを巻き起こしてくれました。
一時代を築いた千代の富士に引導を渡した力士こそ、千代の富士が憧れ尊敬してきた元大関貴ノ花の息子である18歳の新鋭貴花田。
千代の富士が入門前に「今度大相撲に入る子がいる」と巡業で紹介してもらった力士が貴ノ花だったと言います。もはや漫画の世界です。
取組の結果は皆さんご承知の通り。
その後貴花田は、土俵の主役というバトンを千代の富士から引き継ぐことになります。
大相撲史上これほどにドラマチックでかっこよすぎる世代交代があったでしょうか?
嫉妬してしまうほど絵になる力士
ここまで駆け足に振り返ってみた千代の富士の土俵人生でしたが、同じ力士であったら間違いなく嫉妬してしまうような、どこを切り取っても絵になるカッコよすぎる土俵人生でした。
勝っても騒がれ絵になり、負けた姿もカッコいいって一体彼は何者なのでしょうか?
褒めすぎて疲れましたので、本日はここまでにしたいと思います(笑)。
今後、追悼番組や特集など様々な場所で千代の富士の功績や強さに関しは紹介すると思いますので、次回は少し九重親方としての功績を語りたいと思います。
それにしても早すぎます・・・。
本当に心よりご冥福をお祈りします。