思い出の取組ベスト3-貴花田史上最年少金星千代の富士引退へ-

思い出の取組ベスト3 第2位

前回思い出の取組第3位として「霧島VS小錦戦」をご紹介させて頂きましたが、今回は第2位ということで、誰もが知っているあの取組に触れたいと思います。

長く土俵に君臨してきた昭和の大横綱千代の富士に、数々の最年少記録を更新し続けて、ついに幕内上位に昇ってきた貴花田が挑戦することになった、今も語り継がれる伝説のあの一番です。

『1991年夏場所初日 千代の富士-貴花田」

相撲にあまり興味のない方でもこの一番だけは知っていたり、テレビで見たことがあるという方も多いでしょう。それくらい超メジャーな取組です。

もう少しマニアックな一番を、、、という声もあるかもしれませんが、「良いものは良い」ということで。。。

何度もテレビで放送されたり、この一番のドラマ性については延々語られてきたかもしれませんが、改めてこの「千代貴決戦」について今回は語っていきたいと思います。

取組の背景が凄い

この一番がなぜ素晴らしいのかというと、その背景にあるドラマ性です。

長い歴史を持つ大相撲でも、これだけドラマ性が高く、美しい世代交代は存在しないのではないでしょうか?

一時代を築いた横綱にも必ず訪れる引退。衰えを指摘されつつあった千代の富士でしたがその実力はまだまだ健在、第一人者として君臨していました。そこに歴史に残る速さで番付を駆け上がってきた、スター性抜群且つ当時次代を背負うだろうと言われていた力士が、真っ新な状態である初日に挑戦。

この背景だけでもゾクゾクするようなシチュエーションなのですが、ここに至るまでには更に伏線があり、挑戦を受ける横綱千代の富士は挑戦者貴花田の父である先代の貴ノ花に新弟子時代から憧れていました (身体が大きくならないので、タバコを止めろと言われて禁煙したエピソードは有名です)。そして千代の富士が初優勝をした1981年初場所、先代貴ノ花に引導を渡したのが誰あろうこの千代の富士だったのです。

美しすぎる交代劇

その背景にあるドラマ性ばかりを語りましたが、実際の取組も綺麗な一番でした。挑戦者として真っ向からぶつかり、終始前に出続けた貴花田。受けた千代の富士が圧力に負けて呼込んだ瞬間も付いていき、見事勝利を収めました。

この一番で勝利をおさめた貴花田が時代のバトンを渡され、後に2代目貴乃花として平成初期の土俵を牽引していくことになります。平成の相撲黄金期がスタートした瞬間です。

長い相撲の歴史において世代交代の一番は多くありましたが、その多くは後に振り返った時に「あれで力関係が変わった」「あれが最後の一番」「勝てないままに終わった」「対戦しないまま終わった」など、

『結果的に世代交代(らしき)になった一番』

というのが殆どのはずで、初対戦で挑戦者が勝利してそのまま時代を引き継ぐ。一方敗れた側はそのまま時代を託して引退する。このようなドラマチックに世代交代が行われたケースはなかったのではないでしょうか?

横綱挑戦の模範的な姿

ここまでは背景やドラマ性について書いてきましたが、土俵上においても、この一番は非常に素晴らしいものでした。

番付下位の力士が上位に挑戦する場合は、全力で真っ向勝負することが望ましい姿です。特に横綱挑戦においては勝利をおさめることも大切ですが、それ以上に持っている力を最大限に出す事が番付上位者に対する礼儀であり、最低条件だと思っています。

立ち合い正面から思い切り当たり左からおっつけてただ前にでる。千代の富士が突き落としを試みてもただひたすらに前に出る。 時々上位挑戦で、引いたり変化するのを目にしますが、この時の貴花田はまさに模範的な挑戦者の姿。 取組終了後に、花道を引き上げる千代の富士が満足気?に一瞬笑った姿が印象的でした。

相撲ファンになるきっかけ

なぜこの取組が思い出に残るのか?ここまでは誰もが納得するような内容を書かせて頂きましたが、最後の理由はただ個人的なもに。

「私が相撲ファンになるきっかけになったから」です。

前回ご紹介した1992年の春場所(全体)が、自分にとって「普通のファンから相撲マニアへ変化していくきっかけになった場所(一番)」であるならば、こちらは「相撲ファンになる(相撲に興味を持つ)きっかけになった一番」でした。

日本中が注目した「千代の富士VS貴花田」の2日後、「千代の富士引退」というさらなる大ニュースを各局で報道される様子を見ているうちに、周囲のフィーバーと共に相撲に興味を持ち、結果として今日に至っております。

平成3年初場所初日。 土俵の神様が、相撲界のヒーローを一瞬だけ交差させたそんな瞬間でした。

貴花田史上最年少金星千代の富士引退へ
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