思い出の取組-武蔵丸の腕の返しと貴乃花の右四つ-

『1999年九州場所千秋楽 貴乃花-武蔵丸戦』

今回のブログでは以前にも書かせて頂いた「思い出の取組」を再び紹介していきたいと思います。

別記事で武蔵丸の右四つについて書いたのですが、その時にもこの取組には触れています。

右四つ最強の力士は誰か?【武蔵丸の腕返し】

当時の東西横綱が優勝をかけてぶつかった、いわゆる「千秋楽横綱相星決戦」

この響きだけでも、相撲ファンはゾクゾクしますが、この一番もまた様々な背景が入り混じった一番となりました。

絶頂期武蔵丸VS低迷期貴乃花

貴乃花は、史上最年少で初優勝した平成4年以降毎年優勝を重ね、平成10年終了時点で20回の優勝(当時一代年寄りの基準と言われていた)を成し遂げていました。しかしこの平成11年は怪我の影響もあり、8勝・8勝・全休・9章・途中休場と、横綱らしからぬ成績が続いおり、そんな中この九州場所を迎えていました。

一方、安定した相撲で徐々に力を付けてきた武蔵丸は、この年横綱昇進と優勝3回を果たしており、この九州場所では自身初の年間4回目の幕内最高優勝を狙おうかという充実期を迎えていました。

相対象な二人による千秋楽横綱相星決戦

そんな対照的な二人が迎えた一年治めの九州場所。

黒星発進から始まり序盤で3敗、この年を象徴するような不安定な相撲ぶりの貴乃花。一方の武蔵丸も初日黒星で同じく早々に3敗。武双山や土佐ノ海、栃東が優勝戦線を引っ張る場所になりましたが、そこから両横綱は粘り、しだいに武双山らの先頭集団は脱落していき、両横綱が優勝争いのトップに残ったのです。

11勝3敗で並んだ両雄、勝った方が優勝。平成11年九州場所千秋楽結びの一番はそんな中で行われた一番でした。

90年代を締めくくる一番

盤石な右四つ左上手で寄る貴乃花。棒立ちの武蔵丸。誰もが貴乃花の勝利を確信した瞬間、右腕一本で貴乃花を鮮やかに一回転させ武蔵丸が勝利を収めました。

突き押しから四つ相撲になり、左四つから右四つ。徐々に変化してきた武蔵丸のスタイルが完成し貴乃花凌駕した。そんな印象の一番でした。

敗れた後、土俵に腰をかけしばらくの間うなだれる貴乃花の姿に、90年代の相撲が終わる現実を感じずにいられませんでした。

横綱時代の貴乃花が敗れる一番は、立ち合い一気の押しや引きによるものが多く、完全に組んだ状態からの敗戦はあまり記憶になかったのですが、この取り組みは組んで盤石の形になってからまさかの投げ。ここでは思い出の取組として紹介してはいるものの、どちらかと言えば

「衝撃を受けた一番」

という方がしっくりくるような気もします。

武蔵丸の相撲は左四つから、右四つ→腕を返す相撲になり安定感がでました。ここの後2000年代を迎え、盤石な相撲で貴乃花を圧倒する武蔵丸を見るたび、もっと前にこの相撲に変えていたら平成の相撲史はどうなっていたか?よくそんなことを考えたものです。

貴乃花ファンの人達からすれば、この一番は「何かが壊れた一番」だったような気がします。

こちらがその取り組みです。※4分32秒からの一番です。

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武蔵丸腕の返しと貴乃花の右四つ
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