思い出の取組ベスト3-横綱相撲貴乃花VS大関のプライド小錦-

思い出の取組ベスト3 第1位

思い出の取組ベスト3とご紹介させて頂いておりますが、今回ご紹介させて頂く一番が、今回の流れでは第1位という位置づけになります。

力士の皆さんは日々懸命に土俵を務めているので、その取組に順位というのは如何なものか?とも言えるのですが(じゃあやるなと笑)、感動した一番はどと聞かれたら、間違いなくこの一番を上げさせて頂きたいと思います。

『1997年秋場所11日目 貴乃花-小錦戦』

11日目と記載しておりますが、日にちに感しては恐らく10日目か11日目だったという程度の記憶です。 何日目の出来事だったというよりも、取組自体の内容が強烈すぎて日にちはすっかり飛んでいます。

この一番に関しては、自分自身相撲ファンになった後にリアルタイムで見た取組の中で最も感動した一番になります。興奮さめやらぬままになぜか?を書いていきたいと思います。

横に動けば怖くない小錦

入幕2場所目で千代の富士や隆の里を破り、優勝争いを繰り広げ「黒船来襲」と鮮烈なデビューを飾り、横綱まであと一歩という所まで迫った小錦でしたが、晩年は大関からも陥落し、まさに満身創痍の土俵を務めておりました。

この場所は、前頭2枚目という位置で久々の上位との対戦圏内。 膝の故障を始め、満身創痍の小錦ではありましたが、一度組んでしまえばその往年の巨体を生かした寄りの力はまだまだ脅威でもありました。

しかし勝負の世界は過酷であり、そんな小錦の巨体をわざわざ受け止め、正面から勝負する力士は殆どいません。横に動かれ、上手くいなされ、着いていけずに土俵に落ちてしまい黒星が重なる小錦。照れなのか悔しさなのか分かりませんが、軽く土俵を叩きながら一礼して花道を下がっていく姿を思い出します。

初日が出ずに中日を過ぎ、そんな中迎えた横綱貴乃花戦。

当時全盛期を迎えた横綱と、大関を陥落した全敗の平幕力士。書くのも悲しくなるほどの対戦背景です。

大関小錦は生きていた

この一番、立ち合いから貴乃花は正面からがっちりと小錦を組み止めました。がっぷり四つに組み、巨体を生かし土俵際まで必死に寄り続ける小錦。はたく素振りを見せず堪える貴乃花。かつて若武者貴花田の挑戦を正面から受け止めた大関小錦。現在は絶頂期を迎えた横綱と最晩年の元大関でしたが、ふと昔を思い出させる二人の攻防でした。

あの日の対戦では貫禄を見せ、力強く貴花田を寄り切った小錦でしたがその光景が再現されることはなく、最後は土俵際で貴乃花が投げを打ち小錦は敗れました。

取り組み後涙を拭った小錦。あの涙の意味は何だったのでしょうか?かつての自分であれば、あのまま寄り切れたという悔しさなのか?それとも真っ向勝負を受けてくれた横綱への感謝の涙だったのか?

横綱目前までいった頃の大関小錦は、少し近寄りがたく、日本人力士に対してのヒール役の力士でしたが、大関陥落後はマスコミにも積極的に口を開き、メディア出演も多くなり、親しみのあるキャラクターとしてお茶の間でも愛されました。

一方、横綱候補筆頭であったかつての強い小錦は、いつしか人々の記憶の中から薄れていました。

しかしこの日の小錦は、大関小錦としてとしてプライドと最後の意地を絞り出し最高の相撲を見せてくれました。

横綱相撲とは?

一方、大関小錦を正面から受けて立った横綱貴乃花も「横綱相撲とは何か?」ということを体現してみせました。

前回の思い出の取組でご紹介した「千代の富士VS貴乃花戦」で、挑戦者としての姿勢を書いたと思いますが、この一番に関は、横綱として挑戦を受ける姿勢を、貴乃花が見事に見せた一番でした。

昨今近言われている「横綱」としての立合いや姿勢。「横綱相撲とはどんな相撲なのか?」と言った質問ですが、この一番を見ればもはや細かい説明はいらないのではないか?と思います。

私自身の中で貴乃花という力士への想い入れが強くなり、横綱の生き様や存在について改めて考えさせられた、そんな一番でした。

翌場所、外国人出身者が横綱になるために受ける悪しき空気を全て受け、道を作った元大関小錦はその土俵人生に幕を下ろしました。その馬力は最後まで健在でした。

以上、私の思い出の取組を3つご紹介しました。もちろんその他にも沢山ありますが、それはまた次の機会にご紹介します。

横綱相撲貴乃花と小錦大関のプライド
最新情報をチェックしよう!
広告