歴代イケメン力士を紹介
いつの時代にもイケメン力士というのは存在し、各世代のスー女達は(昔は相撲ギャルって言いましたが)、彼らの一挙手一投足に胸を躍らせていたはずです。(昔はイケメンという言葉は存在しませんでしたが・・・)
今回から何度かに分けて、そんな歴代のイケメン力士達を紹介していきたいと思います。googleなどで「歴代 イケメン力士」などと検索をすると、それこそ数多の力士が見つかり、紹介している人の好みも入ってきますので、一旦ルールを作ります。
まず一つ目は、あくまで個人的見解での紹介ということ。やはり私も好みというのがあるので「何でこの力士が入って、なぜこちらの力士が入っていない?」と言われても回答に困ります(笑)
そしてもう一つのルールが、基本的に横綱と大関は外していきたいと思います。イケメンというとイコール人気力士になってきます。相撲は番付社会ですので、強くなって番付が上がれば比例して人気もおのずと付いてきます。まあ、本当はこれが正しい姿なのですが。
横綱大関から選ぶイケメン力士
ということでまず一回目の今回はのテーマは
「横綱大関から選ぶイケメン力士」
今さっき「横綱大関は外すって言ったやん」。舌の根が乾かぬうちにとはよく言いますが、初回から自分で決めたルールを破ります。
これまで誕生してきた横綱や大関。メディアで取り上げられる機会も当然多くなってくるので、おのずと人気も出てきます。しかしそれでもなお、彼らはやはりイケメンとして取り上げる必要があるのです(勝手)。
ということで初回からいきなり例外になってしまいますが。歴代イケメン力士「横綱大関」編ということで。
悲劇の横綱吉葉山潤之輔
戦後にイケメン力士特集があれば、真っ先にランクインしたことでしょう。吉葉山は戦前から戦後にかけて活躍した横綱ですが、身体の大きくなる時代がちょうど戦争中だったり、戦争で受けた傷が後遺症で残ったりなど、他にもなかなか運に恵まれることがなかったため悲劇の横綱と呼ばれました。
横綱昇進を決めた全勝優勝のパレードは、白黒の映像でしか見たことはありませんが、大雪が降る中大変盛り上がったそうです。
当時の資料を見ると、とにかく美男子(当時の表現)で人気があったそうで、相撲界のイケメン話には必ず名前が登場する横綱です。
以前祖父に吉葉山について聞いたのですが、やはり当時は非常に人気があり、自分も応援していたそうなので、今でいう稀勢の里が全勝優勝して横綱に昇進したような感じだったのでしょう。
小さな大横綱千代の富士貢
続いては誰もが知っているあの横綱です。ウルフ千代の富士。千代の富士の大横綱として数々の記録を持っていますが、イケメン度に関しては強さでバイアスは掛かっていないと思っています。
横綱になっておらず、三役、平幕で終わっていたとしても、歴代イケメン力士として人気は屈指だったと思います。
大相撲史上最高視聴率は、千代の富士が初優勝した昭和56年初場所千秋楽。なんと脅威の視聴率52%で、瞬間最高視聴率に至っては60%を超えています。
あの筋肉とスピード。あの躍動感あるスピード相撲はまさにアスリート。「力人」というそれまでのお相撲さんのイメージを変えた力士だと思っています。
美しい土俵入りを見せる横綱時代の映像はよく目にすると思いますが、ぜひ若かりし頃の細かったウルフもチェックしてください。
角界のアランドロン霧島一博
霧島に関しては現役時代を知っていますが、とにかくカッコいい大関でした。千代の富士と同じように身体はそれほど大きくないのですが、筋肉質な身体と、力を入れた取り組み時の躍動感、惚れ惚れする体つきでした。
大きくならない体系を補うように、トレーニングを重ね、千代の富士のようなあの鋼の鎧を作りました。最終的に横綱は叶わず大関で終わってしまったのですが、もし横綱になっていたら霧島の土俵入りはカッコよかったことでしょう。
現役の霧島のカッコよさは悲壮感という表現なのか、哀愁という表現なのか、自分から積極的に口を開いたり、前に出てこない「男は黙って」的な寡黙さがまた良かったです。今も親方として時々見かけますが、変わらず渋い雰囲気を出しています。
ということで、第一回目から例外編の横綱大関編でした。次回からは、しっかりと関脇以下の力士で紹介していきたいと思います。