歴代横綱や力士の中で度々行われる○○番付的な企画。その中で最もポピュラーなものと言えば「歴代横綱の中で最強力士は誰か?」になるでしょう。
最強の横綱は誰なのか?
このようなテーマで企画を行った場合、番組や出演者、採点者は異なったとしても、ある程度相撲を知っている人が集まれば上位陣の顔ぶれはあまり変わりません。
大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花、朝青龍、白鵬
集まった世代にもよりますが、恐らく多くの意見がこの辺りの名前(失礼)に集約されるのではないでしょうか?それぞれ各時代に長く綱を張り、優勝を重ねた横綱達なので、納得の回答になるかと思います。
しかし、この手の「強豪横企画」になった時に、いつも残念・不満に思うことがあります。それは。。。
「 武蔵丸の評価が低すぎる」ということです。
引き立て役にされがちな武蔵丸
「鉄人横綱」と呼ばれた、通算連続勝ち越し55場所は今も相撲界の記録。貴乃花に怪我による休場が目立ち始めた90年代末期から2000年代初期にかけては、一人横綱として相撲界を支えたことなど一定の評価はされるものの、若乃花や貴乃花、曙が引っ張った平成初期の相撲人気黄金時代での名脇役の印象の方が強いことは否めません。
武蔵丸の全盛期についても、曙貴時代を牽引した力士達の力が落ちてきたタイミングで恩恵を受けての昇進。当時外国出身力士として、トップの12回の優勝を誇っていたものの、その内容が11勝始め12勝など低い勝ち星との指摘も多く、優勝決定戦では全て全敗。そして相撲ファンならずとも知っているお馴染みの、
「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!おめでとう!」
と小泉さんが表彰式で叫んだ、平成13年夏場所貴乃花奇跡の優勝場面においての敗戦イメージも強く、「数字・印象」の両面からなのか、武蔵丸が名横綱や大横綱の部類で語られたことをほとんど見たことはありません。
変わりゆく武蔵丸の相撲
しかしそんな見方をする貴方は、武蔵丸光洋という横綱の恐ろしさを十分に理解出来ていません。
「武蔵丸の右四つ」
これはもしかすると大相撲史上最強の右四つかもしれません。最盛期の武蔵丸の右四つには、大げさでなくそれくらいの破壊力がありました。
正確に言うと「右四つから腕を返す相撲」です。
武蔵丸は元々突き押しで番付を上げて来ましたが、安定性を求めて(太りすぎもあり)左四つにモデルチェンジ。突き押し&左四つでも十分に強く、大関としては十分な実力を持っていましたが、この頃はまだ貴乃花の牙城を崩すまでの存在ではありませんでした。13日目や14日目に武蔵丸が貴乃花に敗れるのを見て、まさか後年横綱に昇進して、貴乃花と互角以上に戦うと思っていた人は少なかったはずです。
完成された武蔵丸の右四つ
貴ノ浪と同時に大関昇進した武蔵丸。長く出現しなかった全勝優勝を果たしたものの、横綱昇進に関しては決めてに欠けてしばらくの間は大関に在位していました。しかしその後左四つから右四つに再モデルチェンジ(怪我が原因だったように思います)、差した右の腕を返す相撲を覚えることでついに横綱に昇進しました。たしかにあの太い右腕を返されたら、どんな力士の身体も浮いてしまいます。
しかし、武蔵丸が新たな境地を発見しこれからという頃は、貴乃花はじめ曙や若乃花らの低迷時期にも重なり、当時の横綱昇進も地味感が否めず(今で言えば鶴竜昇進時のようなイメージ)、私自身も曙や若貴が復活すれば4番手くらいだろうと思っていた記憶があります。
失礼ながら冒頭で書いたようなイメージを、私も武蔵丸に持っていたわけです。
宙を舞う貴乃花
「強くなったけどやっぱり名脇役」「実力はあるけどタイミングも良かった」
私の中のそんな見方が完全に変わったのが、平成11年の九州場所千秋楽結びの相星決戦です。 貴乃花の右四つからの盤石な寄りを棒立ちで受ける武蔵丸。誰もが勝利を確信した瞬間武蔵丸が右腕を返すと、貴乃花は一回転して宙を舞いました。
突き押しやいなしなどの速攻相撲や引き技で敗れることはありましたが、右四つ十分に組んだ貴乃花が投げ捨てられる。それも根こそぎ。にわかには信じられない光景でした。
この頃の貴乃花は低迷期にあたり、決して万全な体調ではありませんでしたが、もし貴乃花だけでなく、曙を始めとしたあの時代の力士達が全盛期に戦っていたとしても、右四つ腕返しを覚えた武蔵丸とであれば勝敗は分かりません。武蔵丸の右四つはそれくらいのインパクトがありました。
誰が一番強かったか?
歴代最強横綱は誰だ?一番強かった力士は誰か?という話題が出た際、「武蔵丸」の名前はもっと早い段階で出てきても良いのではないでしょうか?
「数字では分からない強さ」というものがあるという話を、以前北の湖についての記事で読んだ記憶があります。
今こそ武蔵丸の強さを、改めて検証してみましょう!
