先に書いておきますが、今回の記事は栃煌山を長く応援していらした方には不快な内容があるかと思います。私個人としても栃煌山のことが嫌いではないですし、素晴らしい力士だと思っています。あくまで一意見として読んで頂ければ幸いです。
栃煌山引退
時計の針を少し前に戻して7月15日。元関脇栃煌山(春日野)が引退を表明し、今後は清見潟親方として後進の指導にあたることを発表されました。
最高位関脇、幕内に77場所在位していたので約13年間も一線で活躍、ライバル澤井豪太郎とも切磋琢磨し、花のロクイチ組の出世競争をリードしてきました(稀勢の里最後の相手でもあります)。
一番印象に残っているは、2012年夏場所。長く出ていなかった日本出身力士の幕内最高優勝を久しぶりに見れると思った千秋楽でまさかの敗戦。個人的には栃煌山優勝と思っていただけに、驚きの一番だった記憶があります。多くの激戦をくぐり抜けてきた経験を生かして、今後は春日野の伝統を継いで欲しいと思っています。
長く幕内で活躍してきた栃煌山ですが、幕内復帰した春場所で負け越し十両陥落が決まったことで今回引退を決意したようです。前回の陥落後から幕内復帰した際に「次落ちたら辞めよう」と決めていたようですので、本人としては予定通りの引退だったわけです。
ファンにとっても栃煌山は幕内力士であって、「十両力士栃煌山」の印象はほとんどないはずなので、潔い去り方だと思います。
琴太豪新十両昇進への影響
しかし一方でこうも思っています。
「ではなぜもっと早い段階で発表しなかったのか?」
春場所千秋楽の段階で翌場所十両陥落になることは予想できたはずです。加えて水曜日までに自身が引退を決めることが十両の枠に一つ空を作ることも。逆にそれ以降の引退は番付に名前を残したまま、十両の枠を一つ埋めてしまうことを。
結果的に琴太豪の名古屋場所番付は東幕下筆頭、あとわずか半枚足りませんでした。
チャンスは何度もない
春場所あと僅かのところで涙を飲んだ琴太豪。花道奥で同郷の嘉風とガッチリと握手をした姿が忘れられません。
「切り替えて頑張ります」と前向きなコメントをしていたそうですが、結果は
東幕下筆頭3勝4敗とあと僅か星ひとつ及びませんでした。
確かに今場所文句なく勝ち越せば良かっただけの話だと思います。しかし栃煌山がもう少し早く引退を表明していれば、恐らくほぼ間違いなく新十両琴太豪が誕生していたはずです。縁起でもないですが、もしこのまま琴太豪が関取昇進できずに引退した場合、春場所こそが力士人生の中で最大のチャンスだったはずです。
以前のブログでも紹介したのですが、番付運に泣いてあと僅かだった力士はこれまで数多います。番付は生き物ですので仕方ない部分はあるのですが、そこに引退のタイミングが絡むと素直に受け取れないこともあります。
引退発表のタイミングと番付
場所後に開催される郷土巡業参加のため、引退発表を遅らせた若の里(西岩親方)のような例は仕方ないと思うのですが、すでに引退を決めていた今回の栃煌山のような場合は、もう少し早い段階で引退発表して欲しかったと思いました。
昔智ノ花引退に絡んだ藤ノ花のケースもそうでしたが、もちろん結論を出すのに数日しかないというのが酷なことは百も承知です。しかし場所前から陥落イコール引退の気持ちが固まっていたのであれば・・・。
番付編成会議が水曜日。翌場所までの準備を考えた時に、新十両発表を遅らせるのは難しいと思うので、やはり十両の枠を広げるかもしくは付け出しの十両を特例として作るか。何か対策があってもよい気がします。全力士が目指す十両。一番嬉しかった瞬間に十両昇進をあげる力士も多いようです。そんな天国と地獄の境界線においては、そんな措置があってもいいのではないでしょうか?
場所前の栃煌山引退と7月場所の琴太豪負け越し。
この2つを見ていてどうしても言いたかったので、書かせて頂きました。