時津風部屋の不祥事と時津海

初場所後から色々と世間を賑わせている時津風部屋。
今回は当事者の時津海だけでなく、時津風部屋の歴史や、
これまでの出来事を正確に振り返ってみたいと思います。

時津風部屋の歴史

双葉山の名は今なお生き続ける

時津風部屋が語られる時、ほとんどの場合「名門時津風部屋」と表現されることが多い印象を受けますが、正直なところ歴史がある名門という印象は持っていません。

時津風部屋は、昭和の大横綱双葉山が現役時代に設立した「双葉山道場」が前身となっており、引退後に改称されて正式に時津風部屋としてスタートした部屋です。ですから、出羽海部屋や高砂部屋、伊勢ノ海部屋といった部屋などに比べると歴史があるというよりも、双葉山が興した部屋として特別な存在だったり、角界においてのブランドという意味合いでの「名門」なのではないでしょうか?

とはいえ、双葉山という相撲界に燦然と輝く存在の息吹は今も残っており、
師匠や部屋の建物が変わろうと玄関には「双葉山道場」の看板が今も掲げられており、それは今後も変わらないはずです。部屋の力士達も双葉山の存在をどこかに感じながら土俵に上がっているはずです。

東京農業大学とのパイプが完成

双葉山は師匠としても、1横綱(鏡里)3大関(大内山、北葉山、初代豊山)を育てました。そして豊山はのちに部屋を継承し、師匠同様に時津風親方として理事長職も勤めました。豊山は当時としては珍しい大卒力士であり、出身校である東京農業大学との交流も深く、その後東京農業大学相撲部出身力士は、時津風部屋に入門するという太いパイプが完成されました。

時津風部屋の不祥事

時津風部屋力士暴行死事件

豊山が退職するにあたり、部屋を継承したのが長く部屋付きだった双津竜。
相撲部屋継承の場合、名跡だけでなく部屋の物件の権利などもあるので
様々な背景があったのかもしれませんが、他に適任がいないのか不思議に思っていました。

そして継承から5年後の2007年に起こった時津風部屋力士暴行死事件。
散々ワイドショーも楽しそうに報道していましたが、17歳の力士時太山が部屋から逃げ出した際、師匠の命令で稽古場でかわいがりを行い(厳しい稽古をつけること)、暴行を加えて、おまけに師匠もビール瓶で殴って時太山が亡くなってしまったという出来事でした。
これは暴力事件で言語道断なのですが、一方的な報道でストーリーを作っていたような印象も受けました。双津竜は普段温厚な性格で、彼に対して良いコメントを残す人もいたようです。しかし酒癖が悪かったようで、また運の悪いことに当時関取衆が全員出払っていたようですので、止めることができなかった部分もあったのかもしれません。
この事件を気に、相撲界では暴力に対して一層厳しくなってきたような気がします(叩かない、竹刀を使わないなど)。

急遽変わった時津海

力士暴行事件の責任で双津竜は解雇。すぐに新しい師匠が必要になった為、
白羽の矢が立ったのが今回問題になっている時津風親方こと、農大相撲部出身の時津海でした。
しかし当時はまだ現役の幕内力士でしたので、部屋を継承するには引退しなければならず(ここでも枝川親方ではないのか?と思ったものです)、周囲の説得で部屋の継承を受け入れたそうです。
個人的には(元々部屋継承が既定路線でなかったならば)時津海としては美味しいのではないか?と思う一方で、不祥事を起こした後の、引き継ぎのない突然の継承という状況に、もっと周りは同情してあげれば良いのにと思ったものです。

時津海の不祥事

野球賭博から始まった

時津風親方として親方家業をスタートした時津海。
今回の不祥事が問題になっていますが、これまでも前科がありました。
だからこそ、今回の麻雀とマッサージが退職勧告に繋がったのです。
まずは2010年の野球賭博(琴光喜と貴闘力が解雇された出来事)。
(個人の不祥事ではないですが)2011年の八百長問題による弟子の引退。
そして昨年コロナ禍中の協会ガイドラインに違反しての九州ゴルフの旅。
処分を受けた矢先、今回の麻雀とマッサージ事件。
※結果的に麻雀してないんですが。

不運も重なる時津風部屋

時津海本人の責任とは関係ないですが、時天空の病気と死、豊ノ島の大怪我、
大関昇進の使者を迎えるタイミングでの師匠の入院と。
ここ数年、時津風部屋には運の悪さのような物も感じていました。
正代の初優勝や大関昇進、豊山の活躍など明るい話題も出てきているので、
ぜひ新たな師匠の元、頑張って欲しいと思います。

力士時津海

時津海の力士としての印象ですが、相撲巧者の良い力士でした。
番付運などもありますが三役経験がないのが不思議です。
師匠としても、関係者のサポートはあれど混乱している状態の部屋を意に反して引き継ぎ、大関を誕生されるまでに復活させました。
母校とのパイプも強固なまま維持させています。
全てがマイナスだったわけではないはずで、そうでなければ10年以上続けることが出来なかったはずです。
現役引退後も体を鍛え続け、弟子に胸を出していた時津海、
どこかに現役力士の部分や意識が残っており、その意識が師匠としての自覚を一瞬欠いてしまったのかもしれません。

5月に新弟子検査を受ける三本木農高相撲部の坂本博一さんは、時津風親方の息子さんです。色眼鏡でみる人も沢山いると思いますが、静かに見守ってあげて欲しいです。

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