栃錦一代、心技体-栃若書籍の揃い踏み-栃錦・若乃花

最高のライバル栃若時代

相撲書籍の紹介をするシリーズですが、今回は今もなお最高の黄金期と語り継がれている、「栃若時代」をけん引した二人の力士栃錦と若ノ花。

往年の相撲ファンは幼い頃二人の熱戦に熱くなった記憶があり、若いファンでも名前くらいは聞いたことがあるであろう名横綱です。

1950年に初顔合わせした両雄ですが、1960年に栃錦が引退するまで34度の対戦。二人の相撲は大相撲になることが多く、対戦成績も栃錦の19勝15敗と拮抗しており、まさに50年代はこの二人を中心に大相撲は回っていました。

既に引退から半世紀以上が経ち、鬼籍の人となっている二人の力士それぞれの1冊を紹介したいと思います。

栃錦一代

まず最初の1冊は名横綱栃錦の書いた一冊です。

「栃錦一代」 元横綱栃錦

栃錦一代

先程書いたように、栃若時代は1950年代になりますのでもちろん私は現役時代の栃錦のことは知りません。

後に映像を見たり、様々な書籍を読んだり、リアルタイムで見ていた祖父などの話を聞いて、栃錦という力士を学びました。

小柄で筋肉質の力士達が攻防した栃若時代をリアルタイムで見ていた世代の話を聞くと、今よりも攻防があり面白かったと語ります。当時はちょうどテレビが普及し始めた頃だったので、それまでラジオ越しで想像しかなかった力士達がリアルに動く姿が見れ、余計激しい攻防に見えたことでしょう。

確かに今当時の映像を見てみても非常に激しい攻防ががあり、何よりあっさりと決まってしまう相撲が少ない印象を受けます。

祖父がこの時代の攻防について時々語りますが、この時代から相撲を見ている世代は、長い四つ相撲が好きな人が多いように思います。

栃錦は体がそれほど大きくなく技能賞も9回獲得しているため、技能力士の印象が強いですが、実は横綱になると体重も増えて140キロ近くまでなり(当時は重い)、相撲ぶりも押し相撲に大きく変貌しています。

私が相撲を見始めた頃は既にお亡くなりになっていたので、栃錦と言えば「国技館を建設したかつての名理事長」というイメージが非常に強いです。

横綱としての実績は素晴らしい栃錦なのですが、栃錦一代の中にも書いてあるように、理事長として現在の国技館を無借金で建設するという偉業を成し遂げています!

当時の協力者達には国技館建設に携われるという思惑もあったとは思いますが、何より栃錦という人の人望がなせる業だったのでしょう。ベーブルースのヤンキースタジアムならぬ、栃錦の建てた国技館といったところでしょうか。

本の中では往年の相撲界を垣間見ることが出来、ライバル若乃花との切磋琢磨や、師匠である伝説の横綱栃木山の話など、名前が出て来ると興奮する部分も沢山あります。

この一冊を読み、栃錦・春日野親方を知って国技館を見ると、また違った味わいがあります。

「心技体」 元横綱初代若乃花

続いてご紹介する1冊は、栃若時代もう一方の雄、横綱若乃花の一冊です。

心技体-二子山勝治-

世間を沸かせ実力伯仲の栃若時代でしたが、当時人気に関しては若乃花の方があったそうで、大人から子供まで当時の若乃花人気は凄かったそうです(と祖父が語っていました)。ちなみに大関時代には若乃花の映画も制作され、本人も出演しています。

若乃花は栃錦のように相撲ぶりが変わることはなく、仏壇返しに代表されるように豪快だった取り口も人気の秘密だったのかもしれません。

ちょうど私が相撲を見始めた頃に理事長を退任されたので、横綱若乃花というよりも二子山理事長という印象です。

そして何よりも二子理事長といえば、猛稽古で知られる「鬼の教え」の源になった人。現役時代の猛稽古は、そのまま二子山部屋鬼の教えとなり、それが初代貴ノ花の藤島部屋や、隆の里の鳴戸部屋に伝承され、世が平成になっても貴乃花部屋・田子ノ浦部屋・高田川部屋辺りに今なお継承されているはずです。

本作の中では横綱昇進の際、真っ先に考えたのが引退のことだったというのが非常に印象的で「綱の重さ」を感じるエピソードです。

さすが今なお語り継がれる栃若時代だけあり、栃錦と若乃花に関しての書籍は、ご本人達が書いたもの以外も含めると多く存在するので、色々読んで頂くと、戦後の相撲界を学ぶことが出来ます(古書店でしか取扱がない物もありますが)。相撲には奥深い歴史があり、その息吹は今も様々なところに息づいていることに気が付くはずです。

そして栃若時代の取組も動画でぜひご覧ください。

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