巨星墜つ-さらば佐田の山-

横綱佐田の山死去巨星墜つ

2017年4月27日、元横綱佐田の山で日本相撲協会理事長も務めた元出羽海親方の市川晋松さんが肺炎のため死去されたそうです。

突然の訃報で驚きました。79歳でしたか・・・。残念です。

存命の元横綱野中では、元栃ノ海の元春日野親方と元佐田の山の元出羽海親方のどちらかが最年長だったと思いますので、順番としてはそうなのかもしれないですが悲しいです、残念ですね。

ジンクス破り横綱、そして名門継承

名門出羽海部屋から初土俵を踏み、入門から5年で新入幕二桁勝利を挙げると、入幕わずか3場所で初優勝。当時「平幕優勝は出世しない」という相撲界のジンクスがありましたが、翌年2度目の優勝と大関昇進、ついに横綱昇進を果たしてこのジンクスを打ち破りました。

佐田の山の不運は、大鵬の全盛期にぶつかり更に合口が悪かったことでした。「もしも大鵬がいなかったら・もう少し合口が良かったら」優勝回数や現役も伸びていたかもしれません。

しかしそれでも横綱在位19場所、柏鵬時代もう一人の雄である柏戸を上回る優勝6回を遂げ、連覇した翌場所に潔く引退をして角界随一の名門出羽海部屋を継承、35歳で理事に就任しました。

偉大なる大理事長佐田の山

ここまでは、佐田の山についてこれまで書籍で読んだり、調べたりした知識になります。私個人としての佐田の山は、横綱佐田の山ではなく「境川理事長」です。

現役時代以上に、理事長として功績が偉大な方なんだと思っています(ちょうど私が相撲を見始めた頃の理事長なので、余計に”偉い人”のイメージが強いのかもしれません)

相撲協会理事長としての出羽海親方は、巡業の自主興行への変更を始めとする様々な改革を行い、何と言っても伝統という名の相撲界のブラックボックス、
「年寄名跡」への着手を行いました。

歴代の理事長が行ってきた偉業、時津風親方の一門総当たり制度導入、武蔵川親方の蔵前国技館建設、春日野親方両国国技館建設。

年寄名跡問題は、歴代理事長が行ってきた華やかな偉業に比べて闇が深く、理事選が史上初の投票になるほどの大事件に発展し、結果的に失敗に終わり境川親方失脚の要因になってしまいました。

しかし、若貴フィーバー全盛の頃に人気に胡坐をかかず、伝統が支配する相撲界の常識を見直そうと内部制度改革を行う勇気こそ歴史に残る大理事長だったと思います。

今再びの年寄名跡問題

間垣親方や高田川親方らによって、大きな反発にあい頓挫した年寄名跡問題でしたが、その後準年寄や大関の引退後3年期限付き襲名制度など、議論が生まれるきっかけにはなりました。

そしてあの騒動から15年近くが経ち、公益財団法人化するにいたる段階で、境川親方の改革は一部実現するにいたります。境川改革は少し早すぎたのです。

もしも今、境川親方が理事や理事長であればどういった改革を行うのでしょうか?理事選ではどういった言動をとるのでしょうか?一度見てみたかったです。

相撲協会に混乱を招いたと還暦土俵入りを辞退した境川親方ですが、功績に報いるためにも、最後はぜひ協会葬をお願いします。

大理事長のご冥福をお祈りいたします。

佐田の山の功績-巨星堕つ-
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