相撲界の一門ってなに?
先日、yahooのトピックスに、貴乃花一門が阿武松一門に変更になったという記事が出ていました。
ここ1年くらいの騒動や、初場所後に行われた理事選の結果を見て、現在の相撲界において貴乃花の勢力が落ちているのを感じている方も多くいらっしゃると思いますが、「貴乃花一門」が消滅したのではなく、「阿武松一門」に変更になったといのは「正直何がどう変わったのか分からない?」「どう違うの?」と思う方が殆んどでしょう。そもそも「一門」と言う言葉自体、最近では理事選の時くらいしか耳にすることはありません。
今回はその、大相撲界に昔から存在する「一門」という制度そのものについて、簡単に分かり易く説明をしていきたいと思っています。
一門とは親戚・血族関係
一門をwikipediaで検索すると、
「相撲部屋の系統ごとに存在する人脈的派閥」と出てきます。
分かるようで分からない表現です。相撲界に昔からあるこの「一門」という制度について、色々とご意見もあると思いますが、簡単に言ってしまえば親戚みたいなものです。
A部屋に所属していた力士Bと力士Cが引退して、B部屋とC部屋を新たに創設すると、B部屋もC部屋もA一門の所属になります。
そしてB部屋で育ったDという力士が引退してD部屋を興せばこちらもA一門の所属になっていきます。ものすごく簡単なたとえではありますが、家系図にすると親戚です。
現役力士で例えると、豪風や嘉風が引退して部屋を起こすと、基本的には尾車部屋が所属している二所ノ関一門の所属になるわけです。そして、尾車親方が育った佐渡ヶ嶽部屋出身の鳴戸親方(琴欧州)も、同じく二所ノ関一門の所属になるわけです。
部屋に所属している力士の最高位や、現役引退と師匠の定年時期のタイミングだけでなく、急逝や弟子と親方の不仲、相撲界によくあるケースでは師匠の娘と結婚など、様々な事情が絡み合うことで弟弟子が一門の総帥部屋を継いだり、弟子が元々の部屋の所属する一門の総帥部屋の親方になることもありますが、基本的にはこのような流れで部屋の継承がされ、一門は構成されています。
かつては重要だった一門制度
昔は相撲協会から力士への給与という制度はなく、全国で巡業を行うことで力士は収入を得ていました。しかし、部屋単位での巡業では人気力士がいなければ当然お客さんも祝儀も集まらないので、当時の巡業は横綱大関など所謂「客を呼べる」人気力士を含めることが出来るように一門複数部屋で行っていました。
過酷な下積み時代、一門の力士同士が同じ釜の飯を喰いながら全国を回る当時の巡業。そこには現在の相撲単位に似た絆が生まれたはずです。それを現すかのように、その頃一門内の力士同士が本場所で対戦することはありませんでした。
この本場所における一門総当たりを、現在の部屋別総当たりに変えたのが当時理事長だった元双葉山の時津風親方でした。より多くの取組を作成するためという目的でしたが、当時は一門の結びつきが強かった為、双葉山だからこそ出来たという話もあるそうです。
それくらい当時の相撲界においての一門という存在は大きなものだったのです。
現在は有名無実化している一門
しかし最近ではこの一門という存在があまりクローズアップされることがなく、 一門が意識されるのは(一門の稽古などを除くと)理事選の時くらいです。
2年に一度開催される相撲界の理事選では相撲協会の理事を決めるのですが、基本的には全体の枠数10名に対して一門毎に枠を割り振り、事前に調整して無投票のままほぼ年功序列で決めていきます。
※立候補者数が枠数超えるようであれば選挙になる。
1996年まで理事選などという選挙になったことがなかったのですが、佐田の山さんや貴の乱以降は、各一門の票数などで一門が少し注目されました。
理事選の有無に限らず、最近ではこの垣根が低くなってきてるような印象も受け、錣山親方(寺尾)が「自由に意見の言える立場」という言葉を発していましたが、昔であればあり得ない発言で、新しい親方や部屋経営の印象を受けました。
普段の相撲観戦では知らなくても何も困りませんが、理事選の時には、各一門の勢力図や将来の幹部候補などを予測することが出来て面白いです。また相撲界においても大人の事情なるものが存在するのだなと、人間模様を垣間見ることが出来ます。実際に一門と理事、協会運営などの仕組みを調べてから、96年の佐田の山改革への抵抗や貴の乱発生時のことを思い出すと、色々と感慨深いものがあります。
ちなみに今回の貴乃花の一件で一門への所属義務が話題になりましたが、こちらに関しては、本来所属義務はなかったように思います。