鳥羽の山【未完の大器】

皆さんは幻の幕内力士と言われた力士がいたのをご存知でしょうか?
今回紹介する力士はその幻の幕内力士と言われている

鳥羽の山喜充

そもそもなぜ彼が”幻”と言われているのか?そこから説明します。
鳥羽の山は新入幕を果たした平成14年春場所、初日の稽古場で膝を怪我してそのまま休場となってしまいます。
既に割りが組まれていた為、全休ではなく初日は敗戦扱いとなり、結果的に
新入幕場所の成績は1敗14休でした。そして次の場所では十両陥落。
怪我さえ治ればすぐ再入幕という予想だったもののその怪我は晩年まで響き、
ついに幕内復帰は叶わぬまま現役を終えてしまいます。

幕内昇進を果たしたもののその土俵に上がることが出来なかったため、
冒頭にご紹介した「幻の幕内力士」と一部では呼ばれてしまっているのです。

しかしこれは鳥羽の山に対して非常に失礼な話でありネーミングです。
彼は立派な「元幕内力士」であり、名門出羽海部屋低迷期を支えた一人。
今回は鳥羽の山名誉挽回をする回にしたいと思います。

狭間の52組が産んだ幕内力士

要は昭和52年生まれの幕内力士ということです。
雅山や玉乃島、北勝力などもおり、際立ってこの年生まれの力士が出世しなかったという訳ではないのですが、この1つ上がいわゆる花の51組と言われる世代だった為、何となく不作のような印象を持たれているのですが、その中で雅山や玉乃島などの大学相撲出身者や、北勝力など相撲経験はもちろん、格闘技経験もない相撲未経験者にも関わらず幕内まで昇進したのは非常に立派なことです。
※51年組:千代大海、栃東、琴光喜、若の里、隆ノ若、高見盛など

番付運がない

私の個人的な印象なのですが、運の悪さ番付運の悪さを感じます。
そもそも新入幕の朝稽古で怪我って・・・。
当時はまだ公傷制度がギリギリあった時代なので、もしも土俵上の怪我であれば翌場所ゆっくり休めたはずです。そしてその場所で5勝10敗、確かに5枚陥落ですが運が良ければ十両残れる星という見方もできます。ご本人はどう思っているのか分かりませんが、何となく落ちる時は結構落とされるような印象を受けます。

名門部屋を支える

角界随一の名門である出羽海部屋ですが、90年代後半以降徐々に勢いがなくなり、2000年代に入ると関取の数も減り本格的な低迷期に突入しました(普天王引退後、ようやく勢いを取り戻したのが御嶽海の出現)。そんな低迷期を支えた関取の一人が鳥羽の山です。小城錦や金開山引退後、普天王が関取として部屋を支えていたものの、下積みを長く経験している元関取として長く名門出羽海部屋を支えました。何度かお会いしてお話したことがありますが、人柄も非常に良い方なの若い衆にも慕われていたことでしょう。

相撲エリートでもなく、恐らく決して恵まれた才能の持ち主ではないものの、不運にも腐らずに努力し長く土俵を勤めました。
「元幕内鳥羽の山」
幻ではなく正真正銘の幕内力士として、相撲史にも出羽海部屋の歴史にも名前を残しています。

現在はタレントとしての活躍や、調剤事務としてお仕事をされていらっしゃいます。

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