長年相撲ファンだと公言していると、何か相撲界でことあるごとに度々意見を求められることも多くあります。
先日は、「曙のファンが知り合いにいるんですが、横綱曙についてどう思うか?」 ガチで答えて下さいと聞かれました。
ということで、今回は頂いた質問(希望)に対して回答させて頂く「横綱曙について私がどう思うか?」 について書いていきたいと思います。
外国人初の優勝回数二桁-実績-
曙の成績は下記の通りです。
生涯成績:654勝232敗181休
幕内成績:566勝198敗181休
幕内最高優勝:11回
三賞:殊勲賞4回、敢闘賞2回
早い時期から膝をはじめ怪我に悩まされたので休場は多めですが、初の外国人横綱として横綱不在にピリオドを打った、平成5年春場所から丸8年間横綱として在位しました。11回の幕内最高優勝は、外国人力士として初めて優勝回数を二桁に載せた記録でした。
「外国人力士の草分けは高見山・土台作りは小錦」と言われ、曙はその恩恵を受けて横綱になれたと表現をされることもありますが、史上最高と言われた90年代「曙貴時代」の主役の一人として立派な数字を残しており、もっともっと評価されるべき横綱であると思います。
今も続く、外国人(外国出身)力士隆盛の礎を作ったのは間違いなく曙です。
曙太郎横綱の品格-心-
成績も立派ですが、私が曙で最も評価されるべき点だと思っているのは、この「心」の部分になります。
曙が横綱に昇進した平成5年当時は、千代の富士、旭富士、北勝海、大乃国の4横綱が相次いで引退をした直後の横綱不在期間にあたり、横綱に昇進したばかりの曙には手本にする横綱がいませんでした。
当時はインターネットやyoutubeもない時代。そこで曙青年は当時立行司であった 第28第木村庄之助後藤悟氏の元に何度も足を運び、歴代の横綱の話を聞いたと言います。
後藤氏が語った横綱達の話から「横綱としての立ち振る舞いや心」を懸命に学び、日本人の心や横綱としての使命などを必死に理解しようと努力しました。
同時代に現れた、国民的ヒーロー若花田や貴花田に対し、メディアではいつもヒール役としての役割を背負わされた横綱曙でしたが、 実は日本人以上に日本人の心を持った青年でした。後藤悟氏も曙を可愛がったといいます。※ちなみにあの金さん銀さんも曙のファンでした。
突き押しの破壊力–技-
2メートルを超える身長、その長いリーチから繰り出される強烈な突き押しは、大正時代無敵を誇った大横綱太刀山の再来と言われ、多くの力士が廻しに触れることなく土俵外に飛ばされていました。
曙は下半身が弱いので、組めば何とかなると言われている向きもありましたが、そもそも組む前に土俵外という有様で、足腰の粘りに定評のあった貴花田さえ根こそぎ持っていかれていました。
「大鵬の優勝回数を抜く」と公言していた全盛期の曙。今思えば到底及びませんでしたが、当時の曙の相撲にはそれほどの迫力がありました。
高崎巡業に訪れた曙を出迎えた白鵬。曙の全盛期にやってみたかったと言っていたそうですが、 現在の土俵にあの突き押しが君臨していたらどうなっていたのか?そう考えるとワクワク感が止まりません。
※まだ関取になる前の若い衆だった曙が関取だった若瀬川を稽古で吹っ飛ばしたエピソードはぜひwikiでお調べ下さい。
伸びてくる曙の下半身–体-
前章でも触れたように、曙最大の弱点は下半身の脆さと言われており、事実土俵人生後半はヒザの怪我に泣かさ続けれました。
大鵬の優勝記録を破ることを公言していた横綱昇進直後の平成5年でしたが、翌年の膝の怪我以降大きく失速。下半身の怪我で土俵人生が大きく狂いました。
しかしライバルだった貴乃花親方は、曙の下半身について世間の評価とは異なった見解をしており、瞬発力と全身のバネは強力なので腕が伸びてくるように思えて、世間で言われるような下半身の弱さは感じないと話していました。
正面からその当たりを何度も受け止めたライバル貴乃花親方の右手は、 今もしびれが残っており、引退後は左手で食事をとる生活を余儀なくされています。
曙の土俵入りは絶品-土俵入り-
同時代に活躍した貴乃花と若乃花に比べて、四股が上がらない分土俵入りが注目されることがあまりない曙。
しかし身体が大きな分土俵入りの力強さは素晴らしく、 腰がどっしりと据わったせり上がりは古今横綱の中で随一だと思っています。安定感を感じさせる土俵入りとしては、最近の横綱の中では、 最も横綱らしい落ち着いた土俵入りではないでしょうか?
あれで四股が美しければ良かったのですが、それは仕方ないですね。。。
マスコミが欲した悪役横綱-不運-
相原勇との突然の婚約解消、後援会の解散、東関親方との不仲、それでも曙しかいないだろうと思わせた後継者に高見盛が出現するなど、多くの不運が重なり相撲協会には残らなかったのは、現在の部屋の状況・後進の指導のことなどを考えるともったいないの一言です。※結局高見盛ではなく総合的判断から(噂)、 現在は潮丸が東関部屋を継承しています。
世間の見方としても、真面目な性格で横綱という地位のため周りと距離を置いたことが裏目になり、 小錦や武蔵丸と比べて愛想がないような印象を持たれた感は否めません。
一時期悪役だった小錦が大関陥落後に愛されキャラになったタイミングでもあり、曙はその空いた枠に入れるにはもってこいのキャラクターだったのかもしれません(作られた感じもしますが)。
曙貴時代のトップランナー-曙-
ここまでの一般的な曙の印象をまとめると「曙若貴時代のヒール役で、マスコミ受けするキャラクターでもなかった」恐らくこのような印象が強いでしょう。これまで曙が大々的に名横綱として扱われることもあまり見たことがありません。
しかし、曙という横綱はもっともっと評価されるべき存在です。平成の大横綱と呼ばれる貴乃花と曙のライバル対戦は、 本割で25勝25敗と全くの五分。実力は伯仲していたわけで、しかも曙は先に横綱昇進を果たしています。若貴と言われてはいますが、平成の相撲ブームは曙貴時代であり、時代を先導したのはまぎれもない曙です。
改めて曙という力士を見て頂くと、沢山の魅力を感じて頂けるのではないでしょうか?
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