遅咲き高齢記録の力士-琴冠佑、剣武、出羽の郷-

大相撲の世界では兄弟子と弟弟子いう上下関係があります。
これは年齢ではなく入門したタイミングで、仮に年齢が10歳下であろうが、
早く入門していたら兄弟子であり序列は上です。
しかしそれを越える絶対的な存在が番付です。
特に十両と幕下では入門の時期や年齢は全く関係ありません。
年齢が下でかつ弟弟子であろうとも、お風呂で体を洗ったり食事時に給仕をしたりなど、身の回りの世話をしなければなりません。

そんな厳しい相撲界では殆どの力士が関取になれず引退していきます。
今回は「多くの弟弟子に番付で抜かれながらも諦めずに関取目指した」
そんな力士達を紹介していきたいと思います。

琴冠佑源正

1996年に新十両昇進。所要89場所は当時としては史上1位のスロー記録でした。琴冠佑が所属していた当時、佐渡ヶ嶽部屋は関取を多く抱え、7琴(琴ヶ梅、琴稲妻、琴椿、琴の若、琴別府)などと言われ栄華を誇っていました。
そのうち琴錦や琴の若は弟弟子。のちに幕内まで上がる琴龍も弟弟子。
同期入門の琴別府に至っては早々に十両昇進したものの病気になり序の口まで降格、その後奇跡の復活をして幕内まで昇進し定着し他のですが、そのタイミングでも琴冠佑は幕下の壁を破れずにいました。怪我も影響しての遠回りでしたがようやくの昇進。際琴櫻は声を詰まらせたそうですが、本当によく辛抱したなと思います。昇進時、幸か不幸か出身地の北海道は相撲どころにも関わらず、関取不在になっており「北海道出身力士復活」という名誉が加わったのを記憶しています。大銀杏が待っているで腕組みのポーズを嫌がるような(写真でポーズが嫌だったのか?)不良だったと何かで読んだのですが、確かに生で見たときも怖い印象はありました。多くの好角家が苦労人のイメージを持って温かい目で見守っていたはずですので、辞め方は残念極まりなかったです。

剣武輝希

バースデーなどテレビでも時々取り上げられているのを見かけるので知っている人も比較的多いかもしれません。秩父で築200年を越す農家を改装した旅館を営んでいる元幕内剣武です。
前出の琴冠佑が中卒力士の叩き上げ苦労人なら、こちらは大卒の苦労人。
十両昇進まで58場所約10年間をかけています。中卒力士の10年であればまだ20代半ばですが、こちらは昇進時すでに30歳を超えていました。
同じ武蔵川部屋から幕下付け出しで初土俵を踏んだ垣添(現在の雷親方)は、日体大相撲部の同級生。その垣添の付き人も長く務め、垣添が7年ほど勤めた幕内から陥落した頃に、剣武がようやく十両に昇進しました。力士として晩年に差し掛かかった印象だった垣添に対して、これから最盛期を迎えたように思えた剣武。月刊相撲の対談はまさに今!というタイミングだったのを覚えています。
十両昇進後は番付運も良かったのですが、残念ながら最盛期は長く続かず、
その垣添と同じ場所で土俵を去りました。
今年はコロナウィルスの影響で旅館も大変のようですが、現役時代の粘りで頑張って欲しいと思います。ちなみに白鵬も同期生です。

出羽の郷秀之

琴冠が89場所約15年、剣武が58場所約10年を要した新十両ですが、
出羽の郷はそれをはるかに凌駕する所要114場所、19年をかけての新十両昇進。年齢はすでに34歳になっていました。
この新十両場所だった2005年夏場所は、まさに横綱朝青龍最盛期。
当時史上初だった7連覇、年間84勝、年間完全制覇を成し遂げている中、遅咲きのルーキーも少し話題にもなりました。
ちなみに出羽の郷が初土俵を踏んだ1986年(国技館こけら落としの年)に初土俵を踏んだ新弟子で幕内まで昇進したのは、巌雄と巴富士だけという新弟子が全体的に不作の年でした。出羽の郷が新十両を決めた一番の相手は、何とあの琴冠佑。
この時は相撲の神様を感じましたね。結局十両はその一場所だけになりましたが、44歳まで土俵を勤めました。
それにしても晩年のあだ名が出羽じいって失礼じゃないか・・・。
以前紹介したように、現役中に泥棒を捕まえています。

先日貴ノ嶺がyoutubeで話題に出ていたので、遅咲き力士を紹介してみました。
ということで本日はここまで。

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琴冠佑、剣武、出羽の郷
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