6日、回向院で時天空の通夜が営まれたそうです。
しかし本当にまさかのニュースでした、早すぎます・・・。
秋場所花道に立ってる姿や、雑誌に掲載されていた
協会の消防訓練?の写真を見て、体調は回復に向かっていると思っていました。
本当に残念です。
モンゴル力士達のコメントを見ていても、慕われていたんだろうと感じました。
貴乃花時代から、朝青龍王国へ移行する頃、
モンゴル勢や欧州勢が勢いよく番付を駆け上がって来ましたが、
22連勝で一気に幕下に飛び込んで来た時天空のことは忘れません。
モンゴル出身とはいえ、農大卒→時津風という伝統的な入門コースを辿り、
双葉山道場の門をくぐり、順調に出世していきました。
大相撲冬の時代、時津風部屋は他の部屋以上に厳しい状況で、
「双葉山の名に泥を塗った」・「看板を下ろせ」だの色々言われました。
そんな中、名門復活へ向けて豊ノ島と共に部屋を引っ張った時天空。
名門の名は守られ、再び有望力士も入門するようになりました。
指導者として、これからという時に本当に残念です。
しかし最後まで彼が戦った姿は、
来場所再び復活を誓うライバルの力になったはずです。
そして、命がけで守った部屋の魂は、二人の若者へ確実に継承されました。
指導者としては短かったかもしれませんが、
間垣親方の物語は、まだ終わっていません。