富岡八幡宮はなぜ相撲に関わりがある?
相撲に関する話題になると度々登場してくる「富岡八幡宮」。
相撲に纏わる石碑などが幾つかあるようで、何となく気になっていた相撲ファンの方もいらっしゃるのではないでしょうか?
今回はそんな、富岡八幡宮に関しての話になります。
本当はもう少し前に書こうと思っていたのですが、昨年の秋くらいから富岡八幡宮があまり良くないことで話題になっておりましたので、先延ばしになってこのタイミングになりました。
富岡八幡宮は通称を「深川八幡宮」とも言います。富岡八幡宮と聞いてピンとこない方でも、深川八幡宮と聞けば知っている方も多くいる、東京観光スポットの一つです。
この富岡八幡宮が「なぜ相撲と所縁があるのか?」と言いますと、元々勧進相撲(現在の大相撲)発祥の地だったからです。
その為、様々な相撲に纏わる石碑が建てられているのです。(もの凄く簡単な説明ですが)
富岡八幡宮の中で、有名な石碑を二つご紹介します。
歴代横綱の名が並ぶ横綱力士碑
まず1つ目が「横綱力士碑」です。
1900年に建てられた境内の中にある3メートルを超す石碑で、裏側には歴代横綱の名前が刻まれており、新しい横綱が誕生するたびに次々と刻印されていく石碑です(正確には裏側がいっぱいなので副碑に刻まれる)。
一時期は行っていなかったようですが、3代目若乃花昇進時より境内での土俵入りと刻名奉告祭が復活したようです。
テレビで横綱がノミを持って刻印する(ポーズ)様子を、放送しているのを見たことがある方もいらっしゃるかもしれません。
強豪が並ぶ超五十連勝力士碑
この横綱力士碑の横には「超50連勝力士碑」なる石碑も建っております。
横綱力士碑に比べてまだ比較的新しい1988年に作られたこちらの石碑は、本場所で50連勝以上を記録した力士がその連勝数と共に刻印される碑です。
11角中の作りになっており左回りに連勝記録が刻印、空白の面あと5面です。
ちなみに白鵬のように50連勝を達成していても、現役の力士はまだその記録を超える可能性があるため引退後に最も長く続いた50連勝以上の記録と共にその名が刻印されます。
(現在刻印されている横綱)
双葉山69連勝、谷風63連勝、白鵬63連勝、梅ケ谷58連勝。太刀山56連勝、千代の富士53連勝
「勤王横綱陣幕久五郎」
最後に、前述した「横綱力士碑」を建立した人物と、その書籍についてご紹介します。
横綱力士碑を建てた人物は、江戸末期に活躍した第12代横綱陣幕久五郎です。
今でこそ、横綱は大相撲界の頂点という地位ですが、昔は横綱という地位は名誉職のようなもので最高位は大関でした。(大関の中で横綱を付けて土俵入りが出来る職のような感じ)
そこで、横綱という位に権威を持たせるために、横綱陣幕久五郎が、自らの手で歴代の横綱を調べて上げてこの横綱力士碑を建立したのです。
「自費で調査をして横綱の権威を築いた人物」。こう書くと非常に功績のある行動のように思えますが、一方でこの方は自己顕示欲が非常に強く、ただ自身の功績を残したかっただけという事も言われております。
幕末の混乱時になると、陣幕久五郎は相撲ではなく政治活動に力を入れるなど、相撲協会とは協会とは疎遠になっていったので、当時横綱力士碑の除幕式には、協会側の参列者は数名(1名)だけだったと言われています。
ひっそりと建った石碑が、150年時を超えて現在は協会の公式的な行事。なんだか皮肉なものです。
陣幕久五郎に関しては、こちらの書籍で色々と書かれておりますので、ご興味のある方はぜひ一読してみてください。
富岡八幡宮には、他にも大関力士碑をはじめとした、相撲にまつわる様々な碑がありますので、お近くに行った際にはぜひお立ち寄り下さい。