旧国技館はどこにある?-国技館の歴史-

両国国技館の出来る前

前回のブログ(双葉山と祖父について)を書く際に、後楽園場所の開催年と共に
戦後の大相撲開催場所(会場)について少し調べましたが、近代における大相撲の歴史の中で、現在の国技館にいたるまでに本場所開催の場所はどう移り変わってきたのでしょうか?

何となく蔵前から両国に移ってきたことは聞いたことがあったり、記憶にある方もいると思いますが、その前はどこで相撲は開催していたのか?

今回は、折角なので個人的な備忘録の意味も含めて、戦前から蔵前国技館までの大相撲の開催地についてご紹介していきたいと思います。

旧両国国技館の場所は?

相撲ファンのみならず「国技館」と聞けば 、両国のあの建物を想像する人が殆んどでしょうが、戦前に「国技館」と言えば、同じ両国にある国技館でも別の国技館、「旧両国国技館」のことを指しました。

旧両国国技館は、江戸時代に勧進相撲が行われていた、現在も両国にある回向院神社の境内に、1909年に建てられました。当時の写真を見ると非常に大きなドーム型の洋風建築で、設計には東京駅でも有名な辰野金吾が関わっており、鉄材を多く使用していたため「大鉄傘」という愛称が付けられていたそうです。

1909年6月場所から使用されていため、あの双葉山はもちろんですが、太刀山や栃木山など、今や伝説となっているような多くの名横綱の面々が相撲をとった場所でした。

この旧両国国技館があった場所ですが、現在回向院の横にあるシティコアの場所に建っており、裏の駐輪場に描かれている円は当時土俵があった場所だそうです。

この旧国技館の設立委員会の委員長が板垣退助だったそうですが、こんな所にも大相撲の歴史を感じます。

 

戦況の悪化で開催が不安定に

大鉄傘が完成したことにより、天候を気にせずに興行が出来るようになった大相撲でしたが、大正期に入ると火事や関東大震災で使用で出来なかったり、戦争の影響で、年2場所開催(1月と5月)のスケジュールや回数も不規則になってきました。

また、戦争で使用する風船爆弾の工場としても使用されたため、大相撲の本場所は行われても、国技館を使用できないという状況も発生しました。

戦争末期からの大相撲本場所の開催場所や状況を簡単にご紹介していきます。

昭和19年

1月場所(国技館)

5月場所(後楽園) 晴天10日で開催
風船爆弾の工場として使われたため後楽園で開催。

11月場所(後楽園) 晴天10日で開催
野外のため1月は寒いとのことで11月に開催。

 

昭和20年

6月場所(国技館) 晴天7日で開催
空襲で焼失した国技館において非公開で実施。

11月場所(メモリアルホール) 晴天10日で開催
アメリカ軍に接収されたため名前が変更。改築前の国技館で開催。

旧国技館はアメリカに接収されてしまい、「メモリアルホール」と名前が変わりました。 この後、1952年に接収が解除されるまで、旧国技館は占領軍の許可がなければ使用は出来ず、実質アメリカの物になります。

昭和21年

11月場所(メモリアルホール)
旧両国国技館最後の場所。場所後に双葉山断髪式が開催。この場所のみ。

結果的にこの場所が旧国技館で開催された最後の本場所になってしまい、双葉山の引退相撲が、旧国技館で行われた最後の相撲興行になりました。

昭和22年

6月場所(明治神宮)・11月場所(明治神宮)

昭和23年

5月場所(明治神宮)

10月場所(大阪福島公園)大阪で開催

昭和24年

1月場所 (浜町公園内仮設国技館)
浜町の仮設国技館での開催

5月場所(浜町公園内仮設国技館)
浜町の仮設国技館での開催

11月場所(大阪仮設国技館)

昭和25年

1月場所(仮設蔵前国技館)・5月場所(仮設蔵前国技館)・9月(阿倍野橋)
ここから先の東京場所は仮設の蔵前国技館で実施。

昭和26年

1月場所(仮設蔵前国技館)・5月場所(仮設蔵前国技館)・9月(大阪特設会場)

昭和27年

1月場所(仮設蔵前国技館)・5月場所(仮設蔵前国技館)・9月(仮設蔵前国技館)

昭和28年

1月場所(仮設蔵前国技館)・3月場所(大阪府立体育会館)
5月場所(仮設蔵前国技館)・9月(仮設蔵前国技館)
この年から正式な大阪場所が開催。3月場所が本場所になる。

昭和27年には旧国技館の接収が解除されていましたが、すでに蔵前国技館の建設が始まっていましたので、その後大相撲のメッカは蔵前に移っていくことになります。

そして昭和29年の9月場所、ようやく正式に蔵前国技館が完成します。

旧国技館のその後

こうして並べてみると旧国技館時代の災害や戦争で苦しかった期間、蔵前国技館が完成するまでの安定しない期間を乗り越えており、現在普通に本場所が行われているのは、先人の苦労があったからだと改めて感じさせられます。

双葉山が髷を落とすのと同時に幕を閉じた旧国技館は、その後は日本大学が買い取り日大講堂として使われますが、1983年に老朽化のため解体されました。蔵前国技館最後の場所から1年前の出来事です。

両国に行かれた際は、ぜひシティコアの駐輪場にお立ち寄りになり、思いをはせるのは如何でしょうか?

機会があれば、今度は蔵前国技館についても書いて見たいと思います。

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