103年ぶりの記録で栃木山が復活
新横綱で迎えた秋場所、そして続く九州場所と優勝を飾り、いよいよ今場所は103年ぶりの新横綱からの3連覇を目指す照ノ富士。
場所前からこの記録は注目を集めていますが、その度に登場してくる横綱栃木山。栃錦の師匠だったので、名前くらいは聞いたことがある往年の相撲ファンが一部にいる程度で、多くの相撲ファンは始めてその名前を耳にしているはずです。ちなみに玉錦までは話に出てくる祖父との会話にでさえ、栃木山の四股名は今日まで上がったことがありません。
先日のブログでほんの少しだけ触れたものの、「栃木山って誰?」という方も多くいらっしゃると思いますので、今回は栃木山について少しご紹介していきたいと思います。
大正後期に輝く大横綱栃木山
いつの時代も土俵に君臨する横綱がおりますが、大正時代は大きく2つに分けて前半が太刀山、後半がこの栃木山の時代でした。
少し話が逸れますが、今回話題になっている新横綱からの3連覇は過去に2人達成者がおり、栃木山の前に達成したのがこの太刀山になります。
太刀山もまた古今最強横綱とも言われており、相手が恐れるあまり手を触れることなく勝利したり、一突き半で相手力士を土俵外まで突き飛ばしたりなど、その伝説は枚挙にいとまがありません。その太刀山の56連勝をストップさせ、後にそのバトンを受け継いだのが栃木山でした。
栃木山は大正6年に大関昇進を果たすと、大関をわずか2場所で通過して横綱昇進。新横綱から3連覇を達成します。
その後も約7年間横綱を張り幕内最高優勝9回、そして何より横綱での勝率が.935という近代相撲では不可能な数字を叩き出しています。
引退とその後も凄い栃木山
栃木山は現役時代の成績も素晴らしいのですが、その引退と引退後のエピソードがまた凄まじいです。
栃木山が引退したのは大正14年の夏場所直前。その前3場所連続で優勝を飾っているにも関わらず突然の引退でした。引退理由は諸説ありますが、「力のあるうちに華々しく散る」ということだったそうです。(この考え方は、弟子である栃錦にも受け継がれており、栃錦もまた引き際は見事でした。)
それを証明するかのように、引退した年の11月に開催された明治神宮例祭奉祝全日本力士選士権大会(現在も毎年10月に行われているトーナメント)において、現役の横綱を寄せ付けずに優勝を飾ったそうです。
諸説あるうちの一つ↓↓
そしてさらに驚くのが、栃木山引退から6年後に開催された第1回大日本相撲選士権においても、現役力士を破って優勝。
大横綱で先輩の栃木山が相手だっただけに、現役力士達も遠慮があったと思いますが、引退後に互角に戦えるとは、引退当時まだ5年はやれるという声があったのも頷けます。
近代相撲の開祖
「追っ付け」と「筈押し」は、現在の相撲においても多くの力士が使っていますが、この技を完成させたのが栃木山だったと聞いたことがあります。栃木山は鋭い出足で、筈押しと追っ付けで一気に相手を土俵の外に持っていき、廻しに触らせなかったそうです。
そしてその怪力も有名だったそうで、アメリカを旅した際、ボクシング世界ヘビー級王者のジーン・タニーが栃木山を挑発して鉄棒を曲げたところ、栃木山はそれを黙って元に戻したという逸話が残っています。
こんな怪力に鋭い立ち合いで追っ付けられたらと思うとたまったものではありません。
栃木山は引退後春日野親方として独立しており(当時分家許さずの出羽海部屋から特別に許可されることが凄いです)、現在の春日野部屋を興した人物にもなります。※先々々代の春日野親方
照ノ富士が蘇らせた往年の大横綱
私もこれまで読んできた書籍や、情報などでしか知りませんが、栃木山という横綱は相当強かったことだけは確かなようです。youtubeにも親方時代のインタビュー音声が残っていましたので、聞いてみるとまた感慨深いです。
今回この新横綱3連覇に挑戦する照ノ富士が誕生したことで、栃木山にスポットが当たりました。
記録は迫ってくると、過去の偉業とその力士が蘇るという素晴らしい副産物があります。果たして照ノ富士が、見事この記録を達成することが出来るのでしょうか?