巴戦のルールと仕組み-その歴史-

巴戦とはなにか?

いよいよ大詰めを迎えた初場所。千秋楽の展開次第では巴戦の可能性も出てきたことを大相撲放送でも話していました。

大相撲で優勝争いが激しくなった場所で耳にするこの「巴戦」という言葉。

優勝を決める取組のようだけど決定戦ではなさそうだし、一体巴戦って優勝決定戦と何が違うの?と疑問を持っている方もいらっしゃると思います。

今回はその「巴戦」について話を広げていきたいと思います。

巴戦とは。。。

「千秋楽本割終了時点で、相星の力士が3人以上いる場合に行われる優勝決定戦の方式」です。

若い相撲ファンがあまり馴染みがない言葉なのも仕方ないかもしれません。

幕内において巴戦は過去に数回しか行われたことがなく、最後に行われたのは20年以上前になります。

巴戦のルール

巴戦のルールを順を追って説明します。

1.相星で並んだ力士3人が同じ花道から登場

2.出場力士全員がくじを引く

3.「東」「西」と書かれたくじを引いた2力士が東西に分かれて取組

4.「○」が書かれたくじを引いた力士は初戦が休み

5.最初の取組の勝者と、初戦が休みだった力士が取組

6.初戦勝利の力士が続けて勝てば優勝。初戦休みの力士が勝てば、初戦敗者の力士と取組

以後、誰か一人が2連勝するまで続きます。

こちらは3人で行う巴戦の例でご説明しましたが、過去には1度だけ5人による決定戦が行われたこともありました。

1996年九州場所は千秋楽の本割終了時点で、曙、若乃花、武蔵丸、貴ノ浪、魁皇の5力士が相星で並びました。

5人の巴戦をこの時の流れでご説明します。

1.全員がくじを引く

2.曙がシード、魁皇と貴ノ浪が取組、武蔵丸と若乃花が取組

3.曙、貴ノ浪(初戦の勝者)、武蔵丸(初戦の勝者)の3力士による巴戦

結果的に武蔵丸が優勝を果たしました。

このように、5人の力士が相星で並んだ場合も、最終的に3人に絞って巴戦を行います。※6人の時も予選で3人に絞って巴戦を実施。

4人の場合巴戦はやるの?

巴戦のルールが分かってくると「では、4人や7人や8人のケースはどうなるのか?」などと言う疑問も沸いてきますが、その場合はトーナメント方式で決めるそうです。※7人の場合は1人がシード。

千秋楽本割終了時点で7~8人が相星で並ぶ・・・そもそもそんな状況は想像できないと思いますが、幕内に限っていえば過去にそのような事例はありません。

しかし4人での決定トーナメントは過去に2回実施されております。

最初の決定戦は1947年6月場所。9勝1敗で、羽黒山・前田山・東冨士・力道山の4人が並び、最終的に横綱羽黒山が貫録を見せて優勝。

もう一例は1997年3月場所。12勝3敗で、貴乃花・曙・武蔵丸・魁皇の4人が並び、こちらも横綱貴乃花が貫録を見せての優勝を飾りました。

過去に行われた巴戦

千秋楽まで優勝を争った力士が3人で最終決戦を行う。想像しただけで一層千秋楽が盛り上がりそうな巴戦。

ぜひ行われるのを見たい!と思うかもしれませんが、冒頭で書いた通り最近では20年以上も行われておらず、過去に目を向けても7回しか行われたことはありません。

3人による巴戦が行われたのは、1956年3月場所、1961年9月場所、 1965年9月場所、1990年3月場所、1993年7月場所、1994年3月場所以上6例。

そして5人による巴戦は前述した1996年の九州場所のみです。

最後に行われた巴戦は96年九州場所で、3人での巴戦になると94年3月場所までさかのぼることになります。ちなみにその時の顔ぶれは「曙・貴ノ浪・貴闘力」でした。

巴戦は盛り上がらない?

その場所調子の良い力士が3人以上で優勝を争う巴戦なので、さぞ盛り上がる展開になるだろうと思いきや、過去の巴戦を見ると大盛り上がりしたケースは殆んどありません。

初戦勝利の力士がそのまま連勝したケース(2戦で終了)が2回。初戦休みだった力士が迎え撃って連勝したケース(3戦で終了)が3回。

殊勲インタビューの様子を見ても分かるように、1番の相撲を取るのには相当の体力を使います。長引かせずに一気に決めたいという心理もあるのかもしれません。

ちなみに1990年春場所の巴戦は、初戦に敗れた北勝海が逆転するという、史上最多の4戦が行われる「逆転の巴戦」で大いに盛り上がりました。

しかし巴戦の内容云々よりも、そもそも本割が終了して相星が3人いる時点で、十分に盛り上がっている場所という考え方もできます。

巴戦が起きる条件は?

巴戦は、実力が近い力士が多い場合に発生する可能性が高くなります。

事実、横綱大関という番付上位者が優勝をする確率が高い幕内ではあまり行われるケースが少ない巴戦ですが、同じように15日間取組があるにも関わらず、十両ではもう少し頻繁に行われています。

これまでの事例を見ても、絶対王者が怪我で休場していたり、次の実力者が上がって来るまでの狭間の時期に起きていたような印象を受けます。

1965年9月場所に行われてから、次の巴戦が行われたのは1990年春場所。この長い空白期間は、大鵬や千代の富士の一強だったり、輪島や北の湖の2人が切磋琢磨していたため、「千秋楽で3人が並ぶ」という状況になることが難しい時代だったのかもしれません。

巴戦はなかなか見ることが出来ないスペシャルな優勝決定戦です。次はいつのタイミングになるかわかりませんので、千秋楽が巴戦になったら、手に汗握って観戦しましょう!

 

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