「天皇賜杯」の読み方は?
「てんのうしはい」と読みます。 「ようはい」ではありません。「賜盃」とも書きますが、今回は「賜杯」で統一します。
毎場所千秋楽に、優勝力士が土俵上で理事長に渡されるあの大きな優勝カップのことです。相撲界にいる全ての(一応そう言っておきます)力士が、天皇賜杯を胸に抱く日を夢見て日々稽古に精進しています。
本日はその「てんのうしはい」についてのお話になります。
天皇賜杯の歴史
そもそも相撲の優勝トロフィーに限らず、「賜杯」という名前は、天皇から「賜った杯」全ての呼称になります。
そして今回話題にしている「相撲界における優勝賜杯」も大正14年に、昭和天皇(当時皇太子)からの御下賜金で作成したのがはじまりです。
それまで優勝制度というものはなく、この賜杯がきっかけで賜杯を優勝者に授与する、いわゆる優勝制度というものが 正式に出来たわけです。
厳密に言えば、明治42年くらいから一応優勝制度自体はあったそうなのですが、あくまで新聞社が幕内最高成績者を表彰するという制度であって、現在も残る幕内最高優勝(力士個人の優勝)というのはここからスタートしたそうです。
以前、武蔵丸だったか小錦が「エンペラーズカップ」と言ってるのを何かで読んで違和感を感じたのを思い出しましたが、そこには様々な背景と歴史を持っており、ただの「優勝カップ」ではないことがよくわかると思います。
この天皇賜杯をはじめて抱いたのが当時の第一人者である横綱常の花です。第一号がタイミング的に平幕優勝とかではなく、横綱というのがいい気持ちがします。
ちなみにこの天皇賜杯、力士は普通に持っていますが、実は重さが約30㌔もあります! そう考えると理事長もまだまだ力があるのだなと変な所で感心します。
天皇賜杯のある場所
あの大きな天皇賜杯ですが、普段はどこにあるかご存じでしょうか?優勝力士がそのまま部屋に持って帰っているのか気になりませんか?ということで、天皇賜杯がどこにあるのか?持って帰るのか?という疑問への回答です。
①本場所中はエントランスに展示
②千秋楽に土俵上で授与される
③支度部屋で写真撮影
④協会に戻して保管
毎場所この繰り返しです。本場所を観戦した経験のある方は、国技館のエントランスのガラスケースに飾ってあるのをご覧になったり、その様子を撮影した方も多いことでしょう。
優勝旗は、パレードで旗手を務めた力士が部屋まで持ち帰っている光景を見かけますが、天皇賜杯を持っているケースは殆んど見かけません。 昔の写真を見ると、天皇賜杯を抱いてオープンカーに乗っている写真を見たこともあるので、禁止ではないのかもしれません(共にすぐに返却すると思いますが)。 そもそも部屋に持ち帰り次の場所まで保管と言われたら、親方も困るはずです。
天皇賜杯にまつわるジンクス
力士たるもの一度はこの胸に抱えたいこの天皇賜杯。しかし相撲界では、この天皇賜杯にまつわるこんなジンクスがあるようです。
「優勝力士以外が賜杯に触れるとその力士は優勝出来ない」
たいかこんなニュアンスのだったと思うのですが、ずいぶん前にどこかで聞ききました。先日解説だった錦島親方(朝赤龍)もこの話をしており、だから自分は優勝することが出来なかったと呟いておりました。
部屋の横綱があれだけガンガン優勝していたら、それは一度触れたくなるのも分かります。
ミニチュア版天皇賜杯
様々な大会において優勝旗や賜杯の返還があるように、相撲も毎場所初日に土俵上で優勝旗と賜杯返還が行われます。その際優勝者には、ミニチュア版の天皇賜杯が送られます。
元横綱の自宅訪問やインタビューの背景に、小さな銀色の賜杯が映り込んいると、そちらに目が行ってしまう相撲ファンもいることでしょう。
九重部屋のエントランスには、千代の富士のカップが見事に陳列されているようですが、まさに王者の証を玄関で見せつけているわけですね。1つくらい欲しいものです。
今回は天皇賜杯でしたが、相撲に関わる物には、一つ一つ歴史的な背景が存在します。それを知っていくことで、奥深さを知り益々醍醐味が出てきます。
ちなみに私が最近の表彰式で一番気になるのはデカマカロンです。雄s網さんとマカロンという組み合わせが何とも言えずGoodです。