荒磯部屋はなぜ二所ノ関部屋に変わるのか?

荒磯部屋が二所ノ関部屋に

令和3年もあと2週間ほどになった12月19日、以下のようなニュースが飛び込んでまいりました。

大相撲の荒磯親方(35)=元横綱稀勢の里=が年寄「二所ノ関」を襲名することが19日関係者の話で分かった。師匠を務める荒磯部屋は初場所(来年1月9日初日・両国国技館)から二所ノ関部屋に名称が変更。既に日本相撲協会理事会でも承認されている。現在の二所ノ関親方(元大関若嶋津)は来年1月12日に65歳になり定年となる。

大部屋のあり方・食事時間の設定・稽古土俵の数・ミーティングルームの設置など、従来の相撲部屋の在り方を見直し、地域活性の一翼になると様々な場面で報じられていた「荒磯部屋」だっただけに、このニュースは注目された方も多かったはずです。

稀勢の里の「荒磯部屋」に関しては相撲ファンのみならず、多くの方が注目を持って見ていると思いますので、今回はこの荒磯部屋が二所ノ関部屋になることで、何か変わるのか?そもそも何で変える必要があるのか?など順を追って説明していきたいと思います。

二所ノ関部屋になると何が変わる?

今回のニュースに関して一部勘違いしている方もいるようですが、これは「二所ノ関部屋継承」ではなく「二所ノ関襲名」になるので、結論から言えば

荒磯部屋という名称が二所ノ関部屋という名称に変わるだけです。

いきなり結論で終わってしまいますので、なぜ名前を変える必要があるのか?二所ノ関部屋ってなに?というあたりを説明していきたいと思います。

二所ノ関部屋後継者問題

年明けの令和4年1月12日、誕生日を迎えると65歳になる現在の二所ノ関親方(元若嶋津)。65歳を超えた親方は、再雇用制度を使用して相撲協会に在籍し続けることは出来ますが、相撲部屋の運営をすることは出来ません。すなわち、誰かに部屋を継承しなければならないのです。

どこの世界にも後継者問題はあるようですが、一門のことだけでなく、親方株や部屋の物件など様々な問題(主にお金だと思いますが)があるため、相撲部屋の継承問題は少し複雑になり、なかなかスムーズにいかないケースが多いような印象も受けます。

二所ノ関部屋一度は消滅

そもそも今回話題になっている「二所ノ関部屋」ですが、 元々昭和初期に覇権を握った横綱玉錦が創設(再興)した名門(出羽海や高砂に比べると新興ですが)部屋です。あまりピンとこない方も多いと思いますが、後に昭和の大横綱大鵬が所属していた(育った)部屋と紹介すると、ピンとくるかもしれません。

そんな名門「二所ノ関部屋」、大鵬引退後には後継者争いがあった末に現役だった金剛が引退をして部屋を継承しましたが、その後は直弟子を大善1人しか育てることが出来ず2013年に閉鎖されました。

相撲界には「一門」というものが存在し、一門の総帥の部屋(今回で言えば二所ノ関部屋)が1つ、その下に部屋が複数あるという構成で成り立っています。そのため、二所ノ関部屋、出海部屋、高砂部屋、伊勢ケ濱部屋、時津風部屋というのはやはり好角家の中でも特別な部屋名であり、その閉鎖は一縷の寂しさを感じた記憶があります。

 

現在の二所ノ関部屋は元大関若嶋津が再興

一度は消滅した二所ノ関部屋でしたが、なぜ現在も存在しているのかというと、部屋が再興されたからです。経緯を簡単に説明します。

引退後所属していた二子山部屋から独立し、1990年から松ケ根部屋を千葉県船橋市に創設し部屋運営を行っていた元大関若嶋津でしたが、2014年に当時二所ノ関親方だった元幕内玉力道と名跡を交換。自身が二所ノ関親方となることで、松ケ根部屋を二所ノ関部屋と名称を変えて名門部屋を再興をしました。これが現在、松鳳山や十三山本が所属する二所ノ関部屋になります。そのため、細かい話をすると現在の二所ノ関部屋というのは元松ケ根部屋が前身となっており、大鵬が所属していた頃の二所ノ関部屋の系統ではないのです。

玉乃島が二所ノ関部屋を継承する

ここまで読んで頂き、現在の二所ノ関部屋の流れや立ち位置についてご理解頂けたかと思います。ここで改めて冒頭の話に戻りますが、そんな二所ノ関部屋の師匠である若嶋津が、1月に退職するのです。部屋はどうなるのか?

最も分かりやすい継承の形としては「部屋付の親方が継承する」というケースです。特にその師匠の元その部屋で育ち、引退後も親方をサポートしていた経験もあることから、力士のことも理解しており後援会対応など含めて最もスムーズに継承できるはずです。

最近では、朝潮定年に伴い朝赤龍が高砂部屋を継承したケースや、潮丸急逝後に高見盛が東関部屋を継承したケースがありますが、どちらも消化不良な印象があるので、個人的に最も綺麗に映った「千代の富士→千代大海」の九重部屋のケースとしておきましょう。

現在の二所ノ関部屋には部屋付親方として、元幕内内玉力道の松ケ根親方と、元関脇玉乃島の放駒親方が所属しています。

今回は、この二所ノ関部屋を玉乃島が継承することになったようです。

 

 

二所ノ関部屋は放駒部屋になる

相撲にあまり馴染みのない方であると分かりづらいのですが、

若嶋津の「二所ノ関」を稀勢の里の「荒磯」と交換するので、稀勢の里は二所ノ関を襲名するのであって、「二所ノ関部屋を継承」するわけではないのです。

逆に玉乃島は「放駒」のまま「二所ノ関部屋を継承」します。

結果としてそれぞれ部屋の名前が変更になるのです。

荒磯部屋→二所ノ関部屋(前身荒磯部屋)
二所ノ関部屋→放駒部屋(前身二所ノ関部屋もっと前身松ケ根部屋)

合併ではないのでご安心を。当初私も「継承」と捉えたので大変驚いたのですが、襲名であれば納得できるかなという印象です。

今回の話が「二所ノ関部屋継承」となると、話しはもっと複雑になってきます。

継承となった場合は、現在の荒磯部屋と現在の二所ノ関部屋が合併することになるので、今建ててる茨城に引っ越すの?そもそも伝統部屋で改革?現在の部屋付親方や松鳳山達の立場は?など様々な「?」が発生してしまうからです。

今回はあくまで「二所ノ関」を襲名することになっただけですので、ゼロからスタートする荒磯部屋をこれから全力応援しようとしていた人はご安心下さい。

稀勢の里が二所一門の総帥へ

しかし何も変わらない訳ではないはずです。そもそも今回の話、二所ノ関部屋内の継承問題になるので、わざわざ稀勢の里や荒磯部屋を巻き込む必要はないはずです。

初場所後に行われる相撲協会の理事選ですが、二所一門からは3人が立候補する予定と言われています。今回は尾車親方が外れ、芝田山親方と花籠親方、そして新たに佐渡ヶ嶽親方。

芝田山親方や花籠親方も今回が最後になりそうな気もしますが、この先の二所一門を見渡すと、番付面や人気面において絶対的な人材が不足している感じは否めません(色々申し訳ないですが)。

将来的に稀勢の里が理事となり、この一門を引っ張っていくのは予想がつくのですが、早い段階でその準備に入ったとみることも出来るのではないでしょうか?

部屋を改革して、一門を改革して、将来的には相撲界全体を改革して、より開かれた相撲界を作る第一歩として、稀勢の里の二所ノ関襲名は非常に明るいニュースだと個人的には思っています。

 

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