大内山の自宅を改装した名店
十代の頃、始めて両国に降り立った時から、いつか行きたいと思っていたお店に先日ようやく訪れることが出来ました。
両国の名店「割烹ちゃんこ大内 」です。
栃若時代の名大関大内山が、晩年自宅を改装して始めたお店で、現在は長男がお店を切り盛りされています。
開店から30年以上経った今も客足が絶えない人気店で、古くから相撲ファンにはお馴染みでしたが、あの孤独のグルメに登場したことで、一般的にも知名度が少し上がったような気もします。 飲食店で賑わう両国駅から京葉道路を超えた静かな住宅地にあり、どこか懐かしいような、落ち着いた佇まいのお店です。
現在の両国は国技館や両国駅が中心の印象がありますが、元々は両国橋で人が往来し、そのすぐ側にあり両国のランドマーク回向院裏手に位置する「割烹ちゃんこ大内」の辺りは、「静かな住宅街」というよりも、以前は両国の中心地だったのかもしれません(私の勝手な予測ですが)。
お店は元々大内山の自宅でしたので、時津風部屋所属の大内山が、自宅から時津風部屋や蔵前国技館に通う道のりを想像しながら、昭和の相撲界や両国の街を回想してしまいます(笑)。
栃若時代の名大関大内山
このお店を経営されているのが、昭和20年代後半~昭和30年代前半にかけて幕内で活躍した、元大関大内山のご子息です。大内山が晩年自宅を改装して「割烹ちゃんこ大内」を始めたのですが、開店した翌年に大内山は亡くなっているので、開店当時からご子息がずっとお店を守り続けているようです。
大内山と言えば、昭和30年代の栃若全盛を知る好角家の中では有名な大関で、平均身長や体重が今よりずっと低い当時、2メートルを超える身長は規格外な大きさでした。
その大きさに纏わるエピソードは数多く残り、入門当時あまりに大きな体だったため、相撲未経験にも関わらず付け出しにしてはどうかと案が出たり、その巨体ゆえに相手力士に怪我をさせてはいけないと言う優しさが仇となった、両国の街で大内山が歩いていると遠くからでも気付いたなど枚挙にいとまがありません。
歴史に残る大一番になった昭和30年5月場所栃錦戦(熱戦の末栃錦が首投げを繰り出し勝利。大内山の巨体が宙を舞った。)は、長身大内山からの勝利だったこともあって、今も語り継がれる一番になったのだと思います。
「大きすぎる力士は出世しない」という相撲界のジンクスを打ち破り大関にまで昇進した大内山は、大関から横綱として時代を創り始めた頃の栃錦や、大関昇進を目指していた頃の若ノ花と切磋琢磨をし、栃若時代が完成されるまでの時期を支えた名脇役でした。
ボリューム満点時津風部屋の鳥そっぷ鍋
割烹ちゃんこ大内は、「割烹」と名が付くだけに一品料理の充実も素晴らしく、本格的な料理が楽しめます(元力士という看板を全面に押し出したようなお店という印象は受けません )。
とはいえ、やはりここは「ちゃんこ鍋」。
大内にはいくつかちゃんこ鍋がありますが、最も人気があるのが「 鳥そっぷ鍋」です。大内山が所属していた時津風部屋の味付けで提供されるこちらの鍋は、見た目では味付けが濃いめに見えますが、キャベツを始めとした野菜の甘味で、ちょうどよい味付けに整っています。
鍋の注文を2人前から承るちゃんこ店が多い中、割烹ちゃんこ大内では一人前からでも鍋を注文することが出来ます。したがって一人鍋でもOKなのです。
何より一人前のボリュームが満点で、「ホントに?」と思ってしまいます。(ちなみに私は3人で行ったのですが、サイドメニューも頼んでいたので2人前で十分足りました)。
当日店内は満席で、お断りもされているようでした(我々は予約していたので大丈夫でしたが)。
両国の街で昔から愛されているお店だとしみじみと感じました。
ぜひまた訪れたいと思います。