圧倒的な数字の裏で
令和3年名古屋場所の千秋楽を最後に現役を引退した横綱白鵬。ようやく断髪式も終え、いよいよ本格的に「宮城野親方」としてスタートを切ります。
ここで改めて横綱白鵬の実績を振り返ってみると。。。
幕内最高優勝45回、うち全勝優勝16回。
現役通算1187勝 、うち幕内での勝利が1093勝。
7連覇と6連覇が各1回、63連勝。
年間最多勝10回、年間勝利数86勝が2回。
横綱に14年4ヶ月84場所在位。16年間にわたり優勝を飾っています。
大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花、朝青龍。。。これまで、その時代を代表する様々な横綱が素晴らしい記録を残してきましたが、改めて白鵬が現役時代を通じて残してきた記録を見ると、先人たちの記録を凌駕していることが分かります。
しかし、これまでの時代を代表する横綱達の多くが、誰もが認める国民的スターだったのに対して、マスコミが盛んに盛り上げる裏で、白鵬にはファンの数同様アンチも多く存在し(朝青龍の現役時代に関しては賛否両論かもしれませんが)、何より相撲協会からの評価も、手放しで称賛されるものではありませんでした。
これだけの実績を残し、大相撲暗黒時代を一人横綱として支えた白鵬はなぜアンチが多いのでしょうか?
立ち合いのエルボー
白鵬の評価において大きなマイナスになっているのが、晩年立ち合いで多用した「かちあげ」でしょう。
相撲ファンの中では「エルボー」と呼ばれ、下位力士の挑戦を受けて立つ立場である横綱の立ち合いとしては多くの避難を浴びました。
確かに晩年の相撲になるほど白鵬のかちあげは顕著で、立ち合い一発で相手を沈めるなど、エルボーと言わざるを得ないことも多くあり、この立ち合いに対しては私も個人的に否定的な見解です。
しかし、相撲の立ち合いはいつの時代でも厳しい目で見られることが多く(横綱は特に)、昭和の頃は手さえも着いておらずスタートダッシュのようで、もはや立ち合いと呼べるものではない時代でした。
以前の白鵬は立ち合い左の前みつを掴み、そこから攻めに転ずる相撲も多かったのですが、膝を痛めたりする中で立ち合いが変わっていき、最終的にあの立ち合いになりました。しかし残念なことに横綱前半期の立ち合いに注目されることはあまりありません。
朝青龍も現役時代はよく張り差しを使っていたのですが、朝青龍の全盛期や白鵬の横綱前半期は、相撲人気も下火で一般的に相撲を見る人が少なく、相撲人気が復活して相撲を見る人が増えた段階で、「あの立ち合いはなんだ!?」と賛否が出てきたような印象も受けます。
パフォーマンスと主役
白鵬が度々繰り出す「パフォーマンス」においても、苦言を呈する人は多いです。
記憶に新しい騒動としては、「万歳三唱事件」や「三本締め事件」がありますが、他にも普段からメディア受けする言動が目立ちます。
弟弟子や弟子の会見においても、常に自身も前に出てコメントを発し、イベントでは白鵬中心となって盛り上げて積極的に主役として動きます。高安の大関昇進時、なるべく前に出ないように努めた稀勢の里とは真逆です。
そもそもギネスの申請を積極的に行う横綱というのも前代未聞です。
しかし以前も書いたかもしれませんが、白鵬は相撲人気が下火の時代に横綱昇進し、これからというタイミングで突然先輩横綱が引退し、暗黒化していく相撲界からファンが減少していくのを一人横綱として支えた経験があります。
「俺が盛り上げなくて誰が盛り上げるのか」
恐らくこの気持ちが相当強いはずで、根底にあるような気がします。
現役時代の千代の富士も負けず劣らず「主役はオレ」的な感じだったので、引退後はその代償が大きく、白鵬の未来を千代の富士に重ねて危惧する声もありますが、個人的に思うのは白鵬と現役を共にした力士達は、相撲界の暗黒時代においての功績を理解しているような気もするので、恐らくそれほどあからさまな手のひら返しはないように思います。
勝利至上主義
他にも白鵬にアンチが多い理由として挙げられるのは「勝利至上主義」の部分ではないでしょうか?
その象徴として批判されるのが冒頭の「かちあげ」になるのですが、所謂「横綱相撲」とされる「受けて立つ」のではなく、「自ら攻撃する」というスタイルです。
これも話題となった2017年九州場所の「嘉風戦における待った」のように、とにかく「勝利」に対するこだわりも、番付同様に全力士の中でトップだったと思います。
本人が常に口にしていた「横綱は負ければ引退、勝つことが大事」
この葛藤は横綱になった者にしか分からない部分なので、相撲と横綱が存在する限り永遠のテーマなのかもしれません。
引退後に横綱経験者が「一番楽しかった頃」と聞かれると、多くの方が「関脇から大関くらいの頃」と回答します。それほど横綱に余裕はないと言う事なのでしょう。
ライバル不在
白鵬最大の悲劇は、ライバルが存在しなかったことでしょう。
現役時代の白鵬を振り返ると、朝青龍がいた頃の方が気力溢れる相撲が多く、朝青龍引退後、さらに大鵬の優勝記録更新後は、もはや数字を追いかける土俵になっていたような気がします。
手に汗握る一番があれば、感情移入して応援してくれる人がもっと多かったかもしれません。
「白鵬の相撲で最も印象に残る一番は?」そう聞かれて思い出す取組はなんでしょうか?
通算勝利1048勝の新記録を打ち立てた、2017年名古屋場所の高安戦でしょうか?
大鵬の持つ優勝記録32回を更新する33回目の優勝を決めた、2015年初場所の稀勢の里戦でしょうか?
様々な記録が掛かる取組が多かったのが原因かもしれませんが、恐らく白鵬の取組と言われて思いつく取組は人によって分かれてしまい、人によっては直ぐに出てこない可能性もあることでしょう。
ライバル不在に加えて、記録更新の一番もそれほど劇的な展開ではなかったため、多くの人が共通して思い浮かべる「白鵬⁼この一番」という取組がないのかもしれません。
ちなみに私は最後の一番になった照ノ富士戦です。
あの一番で引導を渡せず有終の美を飾らせてしまった照ノ富士でしたが、名古屋場所千秋楽の一番が、結局最後まで白鵬を追い詰める存在が現れなかった相撲人生を象徴した一番のように感じました。
最大の功績
実績に比べその評価が分かれる白鵬ですが、その最大の功績は「白鵬杯」ではないでしょうか?
就職場所と呼ばれる春場所ですが、昨年の入門者は40名を切ったそうで、 史上最多の入門者数だった平成4年春場所の151名に比べると、相撲人口の減少に歯止めが効かない状態です。
ファンクラブの発足やyoutube配信、ファン感謝デーの実施など、ファンを増やす取り組みは行っている相撲界ではありますが、相撲人口の裾野を広げる大掛かりな取り組みは殆んど行っておらず、将来的に相撲界を盛り上げる姿勢は残念ながらありません。
そんな中、日本だけでなく世界中の子供達が目標とする「白鵬杯」の開催は、大相撲界の未来に光を当てる素晴らしい取り組みだと思います。阿武咲のように白鵬杯の土俵を踏み、大相撲の世界で活躍する力士はこれからもっと増えてくるはずです。
その実績に比べてアンチの多い白鵬ではありますが、今後宮城野親方として実績を残すことで、最終的な評価が大きく覆る可能性もまだまだ残っています。青年親方の手腕に注目が集まります。