令和4年年間最多勝は若隆景に決定
九州場所13日目、関脇若隆景が錦富士を下し今年56勝目の勝星を挙げました。
これにより、若隆景を追っていた2位豊昇龍と琴ノ若が、残り2日間勝利しても逆転が不可能となり、若隆景の初めての年間最多勝が確定しました(若隆景は14日目にも勝利し、令和4年大相撲年間最多勝は最終的に若隆景の57勝)。
令和4年における若隆景の年間成績を見てみると。。
初場所:9勝6敗/春場所:12勝3敗/夏場所: 9勝6敗 /名古屋場所:8勝7敗
秋場所:11勝4敗/九州場所: 8勝7敗
年6場所全てで勝ち越したことは勿論、新関脇として迎えた春場所には初優勝を飾り、 三賞2回(共に技能賞)、春場所以降は関脇を守り続け、一年間を通し安定した成績を納め飛躍の年となりました。
「わかたかかげ」
この活躍でスムーズに言えるようになった方も増えたことでしょう(笑)
年間最多勝ってなに?
そもそも大相撲の年間最多勝とはなんぞや?という話ですが、、、
「1年間、幕内で最も勝ち星をあげた力士に贈られる賞」ということで、読んで字のごとくそのままの賞です(笑)
ちなみに今回知ったのですが、正式名称は「最多勝力士賞」って言うそうです。
大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花、朝青龍、白鵬・・・その時代を代表する横綱の名前が並ぶ一方で、その年絶好調だったり、連続受賞している常連横綱が怪我がちだったり、主役を求めて時代が混沌としていたり、様々な事情により、隆の里や若嶋津、霧島、武蔵丸など、連続して刻まれた四股名の間に、ふと登場する往年の名力士がいたりと、なかなかに興味深く面白いです。
まだ相撲ファンになりたての頃、歴代優勝力士一覧を見ながら、各時代の土俵勢力図を想像したり、強豪横綱を学んだりしましたが、その頃を思い出します。
試しにこのブログを読み終わった後に、年間最多勝の歴代成績とその顔ぶれを見て下さい。
年間最多勝の受賞条件
幕内最高優勝を飾ることが素晴らしいのは言わずもがなですが、一年を通じて安定的な成績を挙げた証明として「年間最多勝力士」に輝くことは、非常に名誉なことです。
年間最多勝は「幕内における一年間の勝星が一番多い力士」になるので、基本的には横綱・大関といった上位力士が獲得することがほとんどです。
しかし、最低限一年を通じて幕内に在籍する実力はもちろんですが、たとえ強い力士だったとしても、休場が増えてくると獲得が難しくなってきます(全休だと必然的に15番機会が少なくなる)。
「小さな大横綱」と呼ばれ、優勝31回をはじめ大相撲史上初の通算1000勝を挙げた横綱千代の富士も怪我が多かったため、その受賞3回という数字は思いのほか少なく感じます(3回でも十分凄いのですが)。
現に昭和63年の千代の富士は1場所全休があったため、あの53連勝を打ち立てたにも関わらず、年間最多勝は73勝を挙げた旭富士が獲得しています。
年間最多勝何勝したら凄いのか?
ここまでで年間最多勝の意味や凄さに関しては理解して頂けたと思いますが、では一体何勝くらいが妥当な数字で、何勝を超えるといわゆる「凄い記録」となるのでしょうか?
賛否両論あると思いますが、私の感覚値で言えば70勝以上が高いレベル・80勝を超えてくると「凄いな」という感覚です。
横綱の勝ち越しと言われる12勝をコンスタントに継続すれば、年6場所皆勤して合計72勝。しかし当然人間なので場所ごとに崩れることもありますので、70勝を超えた一年というのは一年を通じて高い水準の成績を納めたことになります。
それでは、年間最多勝関連で、個人的に印象に残るものを幾つかご紹介します。
全休しての年間最多勝
これまで年6場所のうち、「全休」をしている力士が年間最多勝を受賞したケースが二度あり、平成8年の貴乃花と平成29年の白鵬がそれに該当します。
記憶に新しいところで、平成29年の白鵬は、秋場所の全休に加え春場所でも10日間休場し、年間で合計25日間休場しましたが、初場所から11勝・2勝・全勝(優勝)・14勝(優勝)・全休・14勝(優勝) という成績を納め56勝で最多勝になりました。
出場した場所では成績を残しているわけですが、一方で「他は何をやっているんだ?」という空気も当時はありました。。。
もう一つのケース平成8年の貴乃花は、初場所から14勝(同点)・14勝(優勝)・14勝(優勝)・13勝(優勝)・全勝(優勝)・全休と、最多勝記録更新(当時)が掛かっていた九州場所を全休したにも関わらず、秋場所終了時点で70勝に到達して最多勝が確定していました。
ちなみに当然この当時も「他は何をやっているんだ?」という意見は多く出ていました。
年間82勝の壁
「86勝」
これが現在白鵬が持つ、相撲界における年間最多勝の記録になります。
相撲は一場所15番年6場所なので90番相撲を取りますが、一年間で敗れたのが4番のみということになります(2年連続で達成)。
当分破られることがない記録なので、達成された当時は当然話題にもなりましたが、個人的に最もインパクトのあった年間最多勝と聞かれたら、平成17年の朝青龍と答えます。
昭和38年に大鵬が81勝を挙げたのが、初の年間80勝超えでした。
それから15年後の昭和53年に、北の湖が82勝でその記録をさらに更新したのですが、その後、千代の富士や貴乃花といった横綱が挑みはするものの超える事は出来ず、20年以上にわたりこの82勝という記録は更新されずにいました。
リアルタイムで相撲を見始めた私にとって、当時北の湖の持つ「年間82勝」という数字は、正にモンスター級の記録であり不変のものだったのです。
そんな中、平成17年に朝青龍が成し遂げた82勝超えは、最も印象的な年間最多勝でした。
14日目の魁皇戦で年間最多勝の更新だけでなく、年間グランドスラム(未だ相撲界唯一の)と、大鵬の6連覇を破る7連覇(新記録)を達成した瞬間は、今も記憶に鮮明です。※ちなみにこの年は2位琴欧洲との差が25もあったそうです、いかに独走状態だったか。
78勝で最多勝ならず
北の湖が82勝で当時の年間最多勝記録を更新した年、北の湖に次ぐ成績を挙げたのが二代目若乃花の78勝でした。
78勝といえば通常であれば最多勝にふさわしい数字であり、むしろ年間最多勝の中でも高い水準を誇る勝ち星です。
いかにこの年の北の湖が高いレベルだったか?そして若乃花の運が悪かったか。。。
また、先程ご紹介した53連勝を達成した昭和63年の千代の富士ですが、惜しくも旭富士の73勝に及びませんでしたが、この年は春場所を全休しながら70勝を挙げており、高い水準での次点でした(平成8年の貴乃花と同レベルです)。
近年のレベルは低いのか?
冒頭でご紹介したように、年間最多勝の歴代受賞者とその勝利数を見ることで、歴代優勝力士一覧同様、その時代背景を垣間見ることが出来ます。
やはり後に名前の残る力士はその時代連続して名前が登場し、その勝ち星数も60台後半~80台となる反面、時代の切り替えと言われるタイミングは、初受賞者続いたり、勝星数も60台前半になります(実力が拮抗)。
ここ数年の年間最多勝を見ると、昨年の照ノ富士を除き、50勝台での勝ち星が続いており、令和元年の朝乃山は55勝と歴代最少数で、かつ最高位が小結という異例な記録でした。
この状態を「低水準」という見方もありますが一方で、だからこそ毎場所展開が読めない面白さという見方も出来るはずです。
若手二人が優勝を終盤まで引っ張った九州場所。
もしかすると近い将来年間最多勝にも変化が出て来るかもしれません。。。
ということなかなかに奥深い「年間最多勝」でしたが、こちらの記事を読んだ方は、ぜひネットで歴代受賞者一覧を眺めて楽しんで頂ければ幸いです。