力士が私服で外出するのはダメなのか?-照強問題を検証-

照強の洋服姿に文春砲

前頭16枚目で迎えた九州場所を、1991年名古屋場所の板井以来31年ぶり5人目という全敗で終え不名誉な話題で注目された照強ですが、場所後今度は別の件で話題になっているようです。

九州場所前の巡業の10月28日、照強は群馬県桐生市で行われた巡業を、「扁桃の腫れによる発熱」という理由で休場していました。

しかし翌日、東京ビッグサイトで開催されていた「爬虫類・両生類の展示即売会」に足を運んでいた様子(写真)を、知人男性がSNSに投稿(この知人が展示即売会に出店していた模様)。

写真に写った照強は洋服姿で帽子で髷を隠すという格好でした。しかし幕内力士の中では小兵力士として有名な照強ですが、一般人と並べば力士なので、明らかに大きな体。。。それは誰でも気付きますって。。。

何か不祥事はないか?と探している週刊誌にとっては、正に格好のターゲットとなり、今回の件が表ざたになりました。

しかし今回の件、見方を変えれば、爬虫類や両生類が好きな力士が、「爬虫類・両生類の展示即売会に行った」だけです。

「何がいけないんですか?〇〇とか〇〇とか。。。もっとエグイことやってる力士沢山いるじゃないか。」

そんな風に思っている相撲ファンの方もいると思います。しかし今回は、それらの不祥事と比べるのではなく、照強の何がいけなかったのか?ということに注目していきましょう。

力士は外出時私服はNG

あまり知られていないかもしれませんが、相撲協会は力士に対して「原則人前に出る際は、まげを結って着物を着ること」と指導しています(番付に関わらず)。

相撲部屋の近くにお住まいの方はこの話を聞くと「いやいやうちの近所のお相撲さんはジャージで自転車乗り回してるよ」「夏場は短パンとTシャツで歩き回っているよ」「トレーナーで買い物してたよ」など、そんなルールは存在しないと言われるかもしれませんが、たしかに「人前に出る際は、まげを結って着物を着る」ルールはたしかに存在するのです。

ではなぜ?と思われるかもしれませんが、以前「相撲界の都市伝説」で廻しの色について書かせて頂いたのと似ており、昔ほど厳格には守られていないというのが実態なのです。

 

 

ではどの辺りがボーダーラインなのか?という所なのですが、本場所などの公式行事は当たり前として、人が多くいる場所や注目されるような場所(場面)なのではないか?と思います。※あくまで感覚的な話になりますが。

最近この服装に関して注意された例としては、小結時代の貴景勝が、同じ部屋だった(当時)貴源治と貴公俊の2人と一緒に、ジャージ姿で銀座を歩いていたのを春日野親方から注意されたり、少し前だと把瑠都がジャージで六本木を歩き回っていたのを注意された例などがあります。

ちなみに髷に関しては、朝青龍が現役時代、モンゴルから帰国した際、ポニーテール姿で空港に姿を現したこともありましたね。懐かしい。

このようにルールがあるとはいえ、服装で注意されることは実際はあまりないのですが、注目されている力士(名前の知られている)であることは勿論、周りから「ジャージや私服でいたよ」とわざわざ協会にチクられ、それが多くの人の目に付くようであれば、仕方ないから注意するといった感じで、普段の生活は黙認といったところが現実でしょう。

今回は、マスコミに写真が出てしまったので騒がれている程度であって、この服装問題は、特に処分の対象云々というレベルの話ではないはずです。

巡業サボりはNG

今回の照強問題、写真が流失したので私服姿や帽子姿が話題になっていますが、実際に処分の対象になるとすれば、私服姿で外出っしたことではなく「巡業を休んだ翌日に外出している」という方が処分の対象になる行動です(多くの方は分かっていると思いますが)。

玉鷲が連続出場を続けている秘訣として、「休場すると場所後の休み家族と出かけられない」と回答していましたが、巡業は、本場所同様力士として本来出場しなければならない「仕事」です。

「休場」をしているということは、怪我や病気で仕事を休んでいるということになるので、その期間に外出して遊んでいる・・・となれば会社員でいうところの「ズル休み」と取られても仕方ないので。

このズル休み疑惑で最も有名なのが、平成19年の朝青龍です。

当時横綱だった朝青龍は、「左肘内側側副靭帯損傷、左尺骨神経障害、急性腰痛症、第5腰椎疲労骨折」という診断書を提出し、場所後の巡業に不参加だったにも関わらず、母国モンゴルでサッカーをしていた映像がマスコミ各社で放送され、大騒ぎになった出来事です。空港を無言で歩く朝青龍と、会見を開く長岡氏の模様を覚えている方もいるのではないでしょうか?

この時、相撲協会は臨時理事会を開き、朝青龍に対し、秋場所と九州場所の出場停止、4カ月間の減俸、九州場所千秋楽まで特別な事情がない限り、部屋、病院、自宅以外の外出禁止の処分を言い渡しました。

さらにさかのぼると、この朝青龍と同じ高砂一門の先輩横綱であった「前田山」は、休場中の外出に関わることが原因で引退しました。

前田山は昭和24年秋場所で腸カタルの診断書を出して休場したにも関わらず、その本場所中に日米親善野球を観戦していたことが発覚し、相撲協会から出場停止の処分を下され、復帰を希望したものの受け入れられず、引退勧告をされて引退に追い込まれてしまいました。

同じ一門というのは何とも妙な運命を感じますが、「休場中の外出」というのは、服装問題など消えてしまうほど重い処分が下る行動なのです。

反省して2場所ぶりの白星を

照強がまだ幕下のころ、入れ替え戦で流血しながら必死にとった相撲を見たことがあるのですが、向かっていくハートの強さを感じました。

相手を睨みつけることもしばしば、元ヤンならではの気の強さを感じる照強の土俵。その態度は賛否両論かもしれませんが、あの小さな体で幕内にいることはそれくらいの気持ちがなければなかなかに難しいことだと思います。

今回照強にどんな処分が下るのか分かりませんが、土俵には立たせてあげて欲しいと思っています。そして、処分されて幕下落ちしたとしても、もう一度上がってこないといけません。

来年の1月17日を幕内力士で迎えることは出来ませんが、被災地を強く照らすためにも、2024年の1月17日は幕内復帰出来るよう、反省したらメンチ切って土俵で暴れて下さい。

※前田山は、後に高砂親方として高見山をスカウトし、相撲界に外国人力士を誕生させた親方です。

 

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