なぜ日本人横綱は誕生しないのか?

日本人横綱はなぜ誕生しない?

今回のタイトル「なぜ日本人の横綱が誕生しないのか?」は、あまり相撲に詳しくない人からよくされる代表的な質問の一つです。

そういえば以前、舞の海氏も「なぜ日本人は横綱になれないのか?」なんてタイトルの書籍を書いていましたね。

今回は「なぜ日本人横綱が誕生しないのか?」について考えていきたいと思います。

残念ながら、春場所貴景勝が綱取りに失敗してしまったため、久々の日本人横綱誕生はお預けになってしまいました。最後の日本人横綱稀勢の里誕生から約5年、そして稀勢の里の引退から3年が経ちました、、、次の誕生はいつになるのでしょうか?

※ややこしくなるので「日本出身という表記は使用せず、日本人横綱で統一します」

違和感のなくなった「外国人横綱」

そもそも「日本人横綱」という言葉がいつ頃誕生したのでしょうか?

かつて相撲界において力士は「日本人」であることが当たり前でした。

高見山は「史上初の外国人力士による幕内最高優勝を果たした力士」であり、小錦は「外国人力士初の大関昇進を果たした力士」であり、そして世間を騒がせた「外国人横綱不要論」を経て、曙が「外国人初の横綱昇進を果たした力士」になりました。

このように少し前までは、「外国人」であることが特別であり、曙が「外国人初の横綱」となった際には、「日本の心を理解出来るか?」なども含めて大いに話題になったものです。

30年ほど前の話ですが、遠い昔のようにも感じます。。。

 

 

それではここで、「史上初の外国人横綱」となった曙以降に、横綱昇進を果たした力士達の顔ぶれを改めて見てみたいと思います。

第64代横綱 曙太郎
第65代横綱 貴乃花光司
第66代横綱 若乃花勝
第67代横綱 武蔵丸光洋
第68代横綱 朝青龍明徳
第69代横綱 白鵬翔
第70代横綱 日馬富士公平
第71代横綱 鶴竜力三郎
第72代横綱 稀勢の里寛
第73代横綱 照ノ富士春雄

曙が横綱になった1993年の春場所からちょうど30年、180場所の間に誕生した横綱は全部で10名いますが、「日本人横綱」はわずか3名。

さらに21世紀以降に限ると、稀勢の里が「21世紀唯一の日本人横綱」となっており、もはや逆転現象が起き「日本人横綱」の方が稀少な存在です。

日本人力士の優勝

ここで「日本人横綱」の話題から少し逸れ、この30年間の日本人力士による、幕内最高優勝について再び顔ぶれを見たいと思います。

1993年
3月 若花田 14勝1敗/5月 貴ノ花 14勝1敗/7月 曙 13勝2敗/9月 曙 14勝1敗/11月 曙 13勝2敗

1994年
1月 貴ノ花 14勝1敗/3月 曙 12勝3敗/5月 貴ノ花 14勝1敗/7月 武蔵丸 全勝/9月 貴ノ花 全勝/11月 貴乃花 全勝

1995年
1月 貴乃花 13勝2敗/3月 曙 14勝1敗/5月 貴乃花 14勝1敗/7月 貴乃花 13勝2敗/9月 貴乃花 全勝/11月 若乃花勝 12勝3敗

1996年
1月 貴ノ浪 14勝1敗/3月 貴乃花 14勝1敗/5月 貴乃花 14勝1敗/7月 貴乃花 13勝2敗/9月 貴乃花 全勝/11月 武蔵丸 11勝4敗

1997年
1月 若乃花 14勝1敗/3月 貴乃花 12勝3敗/5月 曙 13勝2敗/7月 貴乃花 13勝2敗/9月 貴乃花 13勝2敗/11月 貴ノ浪 14勝1敗

1998年
1月 武蔵丸 12勝3敗/3月 若乃花 14勝1敗/5月 若乃花 12勝3敗/7月 貴乃花 14勝1敗/9月 貴乃花 13勝2敗/11月 琴錦 14勝1敗

1999年
1月 千代大海 13勝2敗/3月 武蔵丸 13勝2敗/5月 武蔵丸 13勝2敗/7月 出島 13勝2敗/9月 武蔵丸 12勝3敗/11月 武蔵丸 12勝3敗

2000年
1月 武双山 13勝2敗/3月 貴闘力 13勝2敗/5月 魁皇 14勝1敗/7月 曙 13勝2敗-9月 武蔵丸 14勝1敗/11月 曙 14勝1敗

2001年
1月貴乃花 14勝1敗/3月 魁皇 13勝2敗/5月 貴乃花 13勝2敗/7月 魁皇 13勝2敗
/9月 琴光喜 13勝2敗/11月 武蔵丸 13勝2敗

2002年
1月 栃東 13勝2敗/3月 武蔵丸 13勝2敗/5月 武蔵丸 13勝2敗/7月 千代大海 14勝1敗/9月 武蔵丸 13勝2敗/11月 朝青龍 14勝1敗

2003年
1月 朝青龍 14勝1敗/3月 千代大海 12勝3敗/5月 朝青龍 13勝2敗/7月 魁皇 12勝3敗/9月 朝青龍 13勝2敗/11月 栃東 13勝2敗

2004年
1月 朝青龍 15勝/3月 朝青龍 15勝/5月 朝青龍 13勝2敗/7月 朝青龍 13勝2敗/9月 魁皇 13勝2敗/11月 朝青龍 13勝2敗

2005年
1月 朝青龍 15勝/3月 朝青龍 14勝1敗/5月 朝青龍 15勝/7月 朝青龍 13勝2敗/9月 朝青龍 13勝2敗/11月 朝青龍 14勝1敗

2006年
1月 栃東 14勝1敗/3月 朝青龍 13勝2敗/5月 白鵬 14勝1敗/7月 朝青龍 14勝1敗/9月 朝青龍 13勝2敗/11月 朝青龍 15勝

2007年
1月 朝青龍 14勝1敗/3月 白鵬 13勝2敗/5月 白鵬 15勝/7月 朝青龍 14勝1敗/9月 白鵬 13勝2敗/11月 白鵬 12勝3敗

2008年
1月 白鵬 14勝1敗/3月 朝青龍 13勝2敗/5月 琴欧洲-14勝1敗/7月 白鵬 15勝/9月 白鵬 14勝1敗/11月 白鵬 13勝2敗

2009年
1月 朝青龍 14勝1敗/3月 白鵬 15勝/5月 日馬富士 14勝1敗/7月 白鵬 14勝1敗/9月 朝青龍 14勝1敗/11月 白鵬 15勝

2010年
1月 朝青龍 13勝2敗/3月 白鵬 15勝/5月 白鵬 15勝 /7月 白鵬 15勝/9月 白鵬 15勝/11月 白鵬 14勝1敗

2011年
1月 白鵬 14勝1敗/5月 白鵬 13勝2敗/7月 日馬富士 14勝1敗/9月 白鵬 13勝2敗/11月 白鵬 14勝1敗

2012年
1月 把瑠都 14勝1敗/3月 白鵬 13勝2敗/5月 旭天鵬 12勝3敗/7月 日馬富士 15勝/9月 日馬富士 15勝/11 白鵬 14勝1敗

2013年
1月 日馬富士 15勝/3月 白鵬 15勝/5月 白鵬 15勝/7月 白鵬 13勝2敗/9月 白鵬 14勝1敗/11月 日馬富士 14勝1敗

2014年
1月 白鵬 14勝1敗/3月 鶴竜 14勝1敗/5月 白鵬 14勝1敗/7月 白鵬 13勝2敗/9月 白鵬 14勝1敗/11月 白鵬 14勝1敗

2015年
1月 白鵬 15勝/3月 白鵬 14勝1敗/5月 照ノ富士 12勝3敗/7月 白鵬 14勝1敗 /9月 鶴竜 12勝3敗/11月 日馬富士 13勝2敗

2016年
1月 琴奨菊 14勝1敗/3月 白鵬 14勝1敗/5月 白鵬 15勝/7月 日馬富士 13勝2敗/9月 豪栄道 15勝/11月 鶴竜 14勝1敗

2017年
1月 稀勢の里 14勝1敗/3月 稀勢の里 13勝2敗/5月 白鵬 15勝/7月 白鵬 14勝1敗/9月 日馬富士 11勝4敗/11月 白鵬 14勝1敗

2018年
1月 栃ノ心 14勝1敗/3月 鶴竜 13勝2敗/5月 鶴竜 14勝1敗/7月 御嶽海 13勝2敗/9月 白鵬 15勝/11月 貴景勝 13勝2敗

2019年
1月 玉鷲 13勝2敗/3月 白鵬 15勝/5月 朝乃山 12勝3敗/7月 鶴竜 14勝1敗/9月 御嶽海 12勝3敗/11月 白鵬 14勝1敗

2020年
1月 徳勝龍 14勝1敗/3月 白鵬 13勝2敗/7月 照ノ富士 13勝2敗/9月 正代 13勝2敗/11月 貴景勝 13勝2敗

2021年
1月 大栄翔 13勝2敗/3月 照ノ富士 12勝3敗/5月 照ノ富士 12勝3敗/7月 白鵬 15勝/9月 照ノ富士 13勝2敗/11月 照ノ富士 15勝

2022年
1月 御嶽海 13勝2敗/3月 若隆景 12勝3敗/5月 照ノ富士 12勝3敗/7月逸ノ城 12勝3敗/9月 玉鷲 13勝2敗/11月 阿炎 12勝3敗

2023年
1月 貴景勝 12勝3敗/3月 霧馬山 12勝3敗

少し長くなりましたが如何でしょうか?お気付きかと思いますが、約30年間の優勝力士、特に2000年代以降の優勝は「外国人力士」が占める割合が圧倒的に高く、特に2006年初場所の栃東以降約10年60場所にわたり、日本人の優勝力士は不在。今回のタイトル「日本人横綱」の誕生依然に「優勝力士」の誕生さえままならない時期があったのです。

なぜ日本人力士は主役になれない?

話題が少し変わってしまいましたが、そもそも「なぜ日本人力士は弱くなってしまったのでしょうか?」

様々な要因があるとは思いますが、結論から言えば「小さい頃に出来るスポーツの多様化」ということに尽きるでしょう。

相撲をやる子供が減少

大相撲黄金期と言われた栃若時代の頃、貧しい家庭が多い中で子供の数が多く、食い扶持を減らすために相撲界に息子を入門させるケースも多くあったようです。

また、町や村の力自慢、いわゆる運動能力の高い子も多く相撲界の門を叩き、日本全国から入門してくる力士の数も多かったため、主役の座に外国人が入り込む余地などありませんでした。

力士数が多いだけに当然強くなる力士も現れるわけで、多少の外国人力士がいたところで、それを跳ね返すだけの力士が誕生したわけです。

しかし現在は、春場所初土俵を踏んだ力士数が「34名」という数字を見ても分かるように、入門者数が激減。強い力士の育成どころか、各部屋力士の確保に一苦労の時代になっています。

運動能力の高い子供が他のスポーツへ

子供の数と力士の入門数の関係以上に、現代において一番影響しているのが、「子供が選ぶスポーツが多様化したこと」です。

かつての日本において、子供が遊ぶスポーツと言えば「野球か相撲」くらいでした。

しかし現在はサッカーやバスケット、テニスやゴルフなど様々なプロスポーツが存在し、特定の土地を除き子供達の中で「相撲」はもうメジャーなスポーツではありません。

そしてそれはすなわち、運動能力の高い子供が他のスポーツに流れることを意味しています。

トップクラスのアスリートが集うモンゴル勢

一方、子供達の多くが相撲に慣れ親しみ、大相撲に憧れるモンゴルにおいては、運動能力の高い子供が相撲をはじめ、頭角を現した実力のある者が相撲界を目指します。

そして相撲協会の定めた「外国人力士一部屋一人ルール」があるがゆえ、更に選りすぐりのメンバーが実際に入門をしてくるわけです。

旭鷲山や旭天鵬らモンゴル力士が台頭し始めた頃、昭和初期のハングリーさが強くさせていると言われましたが、現在は関取昇進率の高さを見ても、精神論だけでなく運動能力の高さも認めざるえないでしょう。

奮起せよ日本人力士

ここまで読んで頂き、勘違いして欲しくないのですが、私はなにも「日本人力士が弱い」と言っている訳ではありません。

幕内で長く活躍できる力士達は運動能力も高く、モンゴル力士を始めとした海外勢に退けは取らないと思っています。

ただし、強くなる素質のある力士の入門は間違いなく減ったはずです。

抜群の身体能力を持っていた千代の富士ですが、現代ならば秋元少年はサッカーかバスケットに行ってしまったかもしれず、もしそうなら横綱千代の富士は誕生しませんでした。

その場合は、他の力士が出てきたかもしれませんが、逆に海外から素質のある少年が入門していたら、同じ稽古量で北勝海や大乃国を凌駕する力士が生まれたかもしれません。小錦を加えた海外勢を抑え込むことが出来なかったかもしれません。

相撲人口の減少問題に関しては、ここで簡単に書くような簡単な話題ではないので、またの機会にしますが、相撲界において日本人力士が長く主役の座を奪われているのは、やはり人材の流出が大きな原因であることは間違いないはずです。

今回はやや歯切れの悪い終わり方になりますが、「日本人横綱、強い日本人横綱の誕生」を実現させるためには、相撲人口を増加させるための施策を考えることと、何より今活躍中の力士達の奮起に期待せずにはいられません。

 

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※別に外国出身力士が嫌いな訳ではありませんのであしからず。

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