なぜ相撲界に暴力は無くならないのか?

陸奥部屋に暴力事件発覚

夏場所直前、先日の逸ノ城引退に引き続き、相撲界から残念なニュースが飛び込んできました。

陸奥部屋において、昨年末から今年1月にかけ、部屋の幕下以下の力士が、頻繁に弟弟子に対して暴力を振るっていたそうで、かつその加害者力士が責任をとって引退をしていたということが判明しました。

「陸奥部屋」といえば、春場所に初優勝を飾り今場所に大関昇進を掛ける霧馬山が所属しており、その夏場所後には元横綱鶴竜の断髪式も控えている、そんな話題豊富な部屋です。

そして何より部屋を率いる親方は、現在相撲協会ナンバー2の事業部長に就いている元霧島の陸奥親方です。

相撲協会のコンプライアンス部長である花籠親方からの発表によると、協会としては今年1月に事態を把握していたそうで、被害力士が4月に相撲協会のコンプライアンス委員会に連絡をし、その後花籠親方らが面談をしたそうですが、被害力士からの「引退する兄弟子に対して、これ以上の罰は望まない」という理由で訴えは取り下げられたそうです。

今回の事件発覚から加害者力士の引退まで数か月が経過しておりますが、陸奥親方は「特に隠しておらず協会には報告した」とのコメントを残しており、加害者力士の断髪式も終わっているということで、暴力事件は既に過去の出来事となっています(今後何か処分がされることがないということ)。

しかし相撲界における暴力事件というのは、いつになってもなくならないものです。。。なぜいつまで経っても相撲界から暴力問題はなくならないのでしょうか?

 

 

「当たり前」の感覚が違う?

相撲界から「暴力」がなくならない最大の理由は、「暴力」に対する認識が一般社会と異なるからのような気がします。

認識が「甘い」のではなく「異なる」です。似ているようですが、微妙に違います。

「手を挙げる」と言う行為は、かつては相撲界だけに限らずスポーツ界では当たり前で、一般社会においても(学校で先生が手を挙げる)しばしば目にする光景だったはずです。

しかし時代の移り変わりと共に人々の考えや意識も変化し、少しでもそういった行為があった場合は厳しく処分される世の中になりました。

恐らく親方はじめ相撲界に所属している人々も、「暴力はいけない・撲滅しなければならないもの」という意識は持っているはずです。

しかし、一般社会に比べて男社会の相撲界においては、その「暴力の基準」が何となく低いような気がします

今よりももっと封建的な空気の中で、若い頃から当たり前のように過ごしてきた元力士だった親方達が仕切っている世界だからなのでしょうか?

若手に蔓延るストレスや嫉妬?

今回の事件が起き、SNSでは「もしかすると自分の推し力士も?」と心配している声も見かけましたが、最近では関取衆の暴力事件は一部を除き見かけないような気がします。

「無理編に拳骨」が当たり前の時代だった頃は、関取も若い衆に喰らわせていたようですが、現在は拳一つで首が飛ぶような時代ですので、ある程度の地位にいる力士は、そんなバカなことはしないようです(地位を失うようなことはしません)。

どちらかというと、ある程度の期間相撲界に在籍しているものの、なかなか関取に上がることができない微妙な地位の力士や、部屋の中ではある程度の力を持った力士が多いような気がします。

スポーツの世界で、「教育的指導」と言う名の理不尽な暴力が日常においてまかり通っていたような時代でも、積極的に後輩に手を上げるのは、レギュラーを取れない先輩が多く、逆にやられるのは有望な後輩が多かったようです。

やはりなかなか芽が出ないことへの焦りや、後輩に対する嫉妬、日々のストレスなどが暴力を生んでしまうのでしょうか?

また、前段で書いたように、この世界に長く在籍しているだけに「当たり前の感覚」がずれてしまっているのかもしれません。

かつて、2年連続で学生横綱とアマチュア横綱を獲得し、「末は横綱大関」と将来を有望視されていた近大の「長岡(のちの大関朝潮)」でしたが、入門する部屋を選ぶ際には、古参の幕下力士がいる部屋では潰されてしまうと恐れ、入門する部屋の候補からは外したそうです。

相撲界の暴力事件が、マスコミで大きく取り上げられるきっかけにもなった2007年に起きた「時津風部屋の暴力事件」においても、事件当時関取は不在で、処罰を受けたのは、時大竜(最高位幕下)、双竜山(最高位三段目) ・双剣山(最高位三段目)という若い衆でした(指示を出したのは親方ということでしたが)。

そう言えば昨年末に発覚した伊勢ケ浜部屋の暴力事件も、やったのは幕下以下の力士でした。

今回の陸奥部屋の問題においても、弟弟子に手を出したのは、長く部屋に所属していた霧の富士です。4月に引退をしたということですが、最高位は幕下18枚目の28歳。周囲が想像する以上の努力をしてここまで番付を上げて来たはずで、十両まであと一歩だったのに本当に勿体ない限りです。

暴力と厳しさを一緒にしてはいけない

かつては、鉄拳制裁は挨拶代わりに使われ、海外巡業から拳銃を密輸しても厳重注意で終わる、そんなのんびりした?時代でしたが、現代は人々の目が非常に厳しくなっており、「暴力」に関しては更に厳罰に処罰される時代です。

しかし最近の相撲界においてマスコミが報道する姿勢で一つ気になるのは、「暴力と指導を一緒にしている」ということです。

例えば、土俵上で行われる厳しい稽古、いわゆる「可愛がり」を暴力と一緒にされるようなことがしばしばありますが、700名近く在籍している力士の中で、1割の関取になる為に「厳しい稽古」は必須であり、関取や兄弟子が厳しい態度や姿勢で指導することは「暴力」ではありません。

今回のように、何十発も顔面を拳で殴ったり、煮立ったちゃんこを背中にかけてやけどを負わせたりすることは、相撲を強くするために意味のあることではないので明らかに「暴力」なので言語道断ですが、土俵の上で厳しく接することは「指導」であり、これは「暴力」ではありません。

現在の親方(指導者)は、こうした「指導」と「暴力」の線引きをしなければならず、自身が成功体験として持っている稽古方法も、時代に合った指導方法に変換して伝承していかなければならない必要があり、あれこれ頭を悩ませることもおおいはずです。

相撲において、「勝負に掛ける厳しさ」というものは、時代は変われどこれかららも確実に必要なもので、夢を持った若者たちが厳しい稽古を積んだ結果が、幕内で活躍する土台となっているわけです。

とはいえ、無駄で無意味な「暴力」は確実に無くさなけれいけません。やってはいけません。

血がにじむほどの努力を積み、気の遠くなるような時間を費やして昇った地位が、たった一瞬で失われてしまいます。

本当に無駄な行為で、全てを無意味な時間にしてしまう可能性があります。

暴力問題は、入門者が減少している相撲界の課題にも間接的に絡んできますが、何よりも力士本人の為にも無くさなければいけません。

 

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