30年前の相撲部屋は現在いくつ残っているか?

30年前の相撲部屋は45部屋

相撲オタクと呼ばれている当方なだけあって、現在も相撲関連の書籍は色々と持っているのですが、ここに1993年発行の「大相撲観戦ガイド」という本があります(各年毎の発行でしたが、すでに廃刊となっており、出版社自体もなくなっています)。今年は2023年なので、ちょうど今から30年前の平成5年の発行。

その本の中で当時の相撲部屋を、住所と共に紹介しているページがあるのですが、今回は当時の相撲部屋をネタに、現在も存在しているのか?など、平成から令和への時代の移り変わりを感じていきたいと思います。

まずは長くはなりますが、当時(平成5年)あった45の相撲部屋を住所と共にご紹介したいと思います。

出羽海部屋(元横綱佐田の山):墨田区両国2-3-15
立浪部屋(元関脇安念山):墨田区両国3-26-2
時津風部屋(元大関豊山):墨田区両国3-15-3
伊勢ヶ浜部屋(元大関清国):千葉県柏市松ヶ崎225-9
大鵬部屋(元横綱大鵬):江東区清澄2-8-3
鏡山部屋(元横綱柏戸):江戸川区北小岩8-16-1
春日野部屋(元横綱栃ノ海):墨田区両国1-7-11
高砂部屋(元小結富士錦):台東区橋場1-16-5
佐渡ヶ嶽部屋(元横綱琴櫻):墨田区太平4-18-13
二子山部屋(元横綱若ノ花):杉並区成田東3-25-10
北の湖部屋(元横綱北の湖):江東区清澄2-10-11
藤島部屋(元大関貴ノ花):中野区本町3-10-6
井筒部屋(元関脇鶴ヶ嶺):墨田区両国2-2-7
放駒部屋(元大関魁傑):杉並区阿佐谷南3-12-7
伊勢ノ海部屋(元関脇藤ノ川):江戸川区春江町3-17-6
押尾川部屋(元大関大麒麟):江東区木場2-17-7
二所ノ関部屋(元関脇金剛): 墨田区両国4-17-1
朝日山部屋(元小結若二瀬):江戸川区北葛西4-14-21
大鳴戸部屋(元関脇高鉄山):千葉県市川市北方2-22-1
安治川部屋(元関脇陸奥嵐):江東区毛利1-7-14
片男波部屋(元関脇玉ノ富士):墨田区石原1-33-9
峰崎部屋(元幕内三杉磯):練馬区田柄2-20-3
高田川部屋(元大関前の山):江戸川区一之江2-1-15
玉ノ井部屋(元関脇栃東):足立区梅田4-12-14
甲山部屋(元幕内大雄):文京区本郷5-19-7
大島部屋(元大関旭国):墨田区両国3-5-3
武蔵川部屋(元横綱三重ノ海):荒川区東日暮里4-27-1
三保ヶ関部屋(元大関増位山):墨田区千歳3-2-12
間垣部屋(元横綱2代目若乃花):墨田区亀沢3-8-1
鳴戸部屋(元横綱隆の里):千葉県松戸市八ヶ崎183
尾車部屋(元大関琴風):埼玉県草加市稲荷4-27-30
湊部屋(元小結豊山):埼玉県川口市芝中田2-20-10
中村部屋(元関脇富士桜):江戸川区中央4-1-10
東関部屋(元関脇高見山):墨田区東駒形4-6-4
友綱部屋(元関脇魁輝):江東区毛利1-20-7
熊ヶ谷部屋(元幕内芳野嶺):江戸川区南小岩1-6-28
木瀬部屋(元幕内清の盛):文京区本郷2-35-21
立田川部屋(元関脇青ノ里):千代田区飯田橋3-2-10
若松部屋(元大関朝潮):墨田区本所3-5-4
松ヶ根部屋(元大関若嶋津):千葉県船橋市古作町4-13-1
九重部屋(元横綱千代の富士):墨田区石原4-22-4
式秀部屋(元小結大潮):茨城県竜ヶ埼市佐貫町宇杢田168-1
宮城野部屋(元幕内竹葉山):墨田区緑4-16-3
陸奥部屋(元星岩涛):千葉県浦安市堀江4-23-18
花籠部屋(元関脇大寿山):山梨県北都留郡上野原町上野原3956

長々スクロールありがとうございます。以上45部屋が平成5年時点で存在した相撲部屋です。

当時のままの部屋はいくつ?

それでは早速中身を細かく見ていきましょう!

「当時の建物」で「当時の部屋名のまま」

当時あった相撲部屋45部屋の中で、「当時の建物」で「当時の部屋名のまま」現在も変わらずに残っている部屋はわずか4部屋のみでした。

まずは全相撲部屋中、最古の建物である名門出羽海部屋

1966年8月が土俵開きということですので、現在で50年を超える建物です。完成当時ホテル出羽海と言われたそうですが、たしかに平成に入ってから建てられた周辺の建物と比べてもあまり遜色ありません。

 

この本が発行された当時は、現在の親方である小城ノ花をはじめ、久島海、舞の海、小城錦などが現役力士として所属していました(高崎親方はまだ関取になる前)。

2つ目は、名横綱栃木山が同じ出羽一門から正式に分家独立して興した春日野部屋

こちらは最近流行りのマンションタイプの先駆けで、下を相撲部屋として利用し、マンションの上の階を賃貸にして家賃収入を得るタイプ。平成初期のバブル期、固定資産税が高くなり現在の建物にしたとか言うのをどこかで読んだ気がします。相撲ファン憧れの物件ですね。

年末のお掃除中

当時部屋を率いていたのは、元横綱栃ノ海の先代春日野親方。現在の親方である栃乃和歌は関取として所属していました。

続いて3つ目の部屋は、ここ一年逸ノ城悲願の初優勝と突然の引退により、良くも悪くも注目された湊部屋。埼玉県川口市にあるこちらの部屋も、先代湊親方(元小結豊山)が立てた当時のままの状態で現親方が使用しています。

発行当時の1993年は、現在の親方である湊富士が、丁度十両から幕内に駆け上がる頃で、相撲フィーバーの中で「湊部屋」という名前はまだまだマイナーな名前だった記憶があります。

 

当時のまま残る最後の部屋、それは角界の鉄人玉鷲を擁する片男波部屋です。

現在部屋を率いる親方(元関脇玉春日)は、この翌年入門のためまだ部屋にはおらず、当時部屋を代表する関取は、現在ちゃんこ屋さんとして成功を収めている玉海力さんでした。

ということで、 「当時の建物」で「当時の部屋名のまま」 現在も運営している部屋はわずか4部屋でした。もっとあると思ったのですが意外に少なかったです。そう考えると、最近取り壊されて閉鎖してしまった井筒部屋は惜しかったですね。

場所は変わらず今もある部屋

「当時の建物」で「当時の部屋名のまま」 は4部屋でしたが、部屋はそのまま残っているものの、建物を建て替えたり(同じ系統のまま)部屋名が変わっているという定義まで広げると、新たに5部屋追加されると思います。※ややこしいですが。

まずは時津風一門の総本山である時津風部屋。大相撲観戦ガイド発行の頃はまだ昔の面影が残る部屋でしたが、2001年に春日野部屋同様マンションタイプとして建て替えられました。

一見すると相撲部屋だと気づかない外観ですが、今も玄関に掲げられている「双葉山道場」の看板が名門の名残をとどめています。

 

 

当時の建物

 

次に若松部屋です。

当時は元朝潮が若松親方として部屋を率いていましたが、元小結富士錦の高砂親方定年に伴い部屋を吸収合併し、若松部屋は高砂部屋となり現在に至ります。

当時は、現若松親方(元幕内朝乃若)が関取として所属しており、若松部屋といえば朝乃若のイメージでしたが、朝赤龍が部屋を継承したことで、(色々と事情はさて置き)結果的に高砂系に戻ったということでしょうか・・・(笑)

3部屋目は安治川部屋。現在角界で唯一横綱が所属する「伊勢ヶ濱部屋」として現在も同地にあります。

1993年当時、現伊勢ヶ濱部屋の旭富士は、安治川親方として「安治川部屋」を興したばかりの頃でした。その後2007年に旧伊勢ヶ濱部屋が閉鎖し「伊勢ヶ濱部屋」という名前が消滅していたのですが、旭富士が名跡を交換して部屋名を「伊勢ヶ濱部屋」に変更。現在に至っています。安美錦に「安」が付くのはこういった経緯があります。

4部屋目は当時の大鵬部屋で、現在も「大嶽部屋」として部屋を興した大鵬の孫である王鵬が関取として頑張っています。

大鵬部屋は娘婿である貴闘力が「大嶽」として継承しましたが、2010年に退職。部屋付親方だった大竜が「大嶽親方」として改めて部屋を継承しています。

時津風部屋同様、部屋の入口には部屋の看板とは別に、「大鵬道場」の看板が今なお掲げられています。

 

最後は武蔵川部屋です。当時は武蔵丸が幕内で活躍していましたが、ちょうど1993年は現親方である藤島親方が入門した年であり、ここから武双山(藤島親方)の快進撃が始まったのでした。

90年代末期から00年代にかけて隆盛を誇った武蔵川部屋ですが、三重ノ海の武蔵川親方退職とともに引退していた元大関武双山の藤島親方が部屋を継承。藤島部屋として現在に至ります。

部屋を継承する際に名跡交換していれば、今回最初に紹介したカテゴリーだっただけに残念です(何が残念なのか分からないですが(笑))

別の部屋として現存

相撲部屋は、土俵はもちろん、若い衆の大部屋や個室、大きな風呂にちゃんこ場など独特な間取りをしているので、やはり相撲部屋は相撲部屋として再利用するのが手っ取り早く、かつての相撲部屋を、現在は他の部屋が使用している場合もあります。

今回の検証最後は、「部屋は残っているが、別の部屋(系統も異なる)として現在使用されているケース」です。2部屋ありました。

まず中村部屋です。当時部屋を率いていたのは、元関脇の富士桜。

幕内力士を誕生させることは出来なかったですが、日本航空高校の通信制課程を弟子に受けさせて高卒資格を取らせるなど、先進的な取り組みをしていた部屋です。

部屋は継承されないまま2012年に閉鎖されましたが、元横綱武蔵丸の武蔵川親方が、前述の藤島部屋から独立する際にこちらの建物を使用して部屋を再興させています。

そしてもう一つが東関部屋です。1993年といえば、当時横綱だった曙が三連覇を飾るなど、部屋として最盛期を迎えた頃でした。

2018年の部屋移転に伴い使用されなくなりましたが、元横綱白鵬がこの地に部屋を興し、現在は二所ノ関部屋と共に注目を集める「宮城野部屋」として復活を遂げています。

2割少しの生存率

今回は、1993年当時の相撲部屋から時代の移り変わりを見てきましたが、なかなかに感慨深いものがありました・・・

45部屋中、何かしら残っているのが11部屋。全体の25%。

年寄名跡同様に相撲部屋も親方の物件、所謂資産になるため、「弟子に継承」などという綺麗な話にはなりません。

近所に住んでいる人にとっては、慣れ親しんだお相撲さんたちが引っ越してしまうことは寂しいのではないかと想像しますが、色々あるんでしょうね。

最後に相撲とは関係ないですが、現在も当時の建物が残っているのが、大島部屋、九重部屋、三保ヶ関部屋です。

大島部屋はそのまま親方のご住まいであり、九重部屋は「ちゃんこ千代の富士」として2023年に開業。三保ヶ関部屋は「ちゃんこ増位山」としてつい最近まで開業していましたが現在は閉店、建物だけが親方のお住まいとして残っています。

移り変わりの激しい相撲部屋。ぜひ写真に残しておきましょう。

※今回の内容、私個人の記憶がメインになっているのでぜひ修正点あれば教えて下さい。

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