あの日の忘れ物〜照ノ富士復活優勝〜

本来なら名古屋で開催予定の7月場所ですが、今年は新型コロナウィルスの影響で動員数を2500人に限定して国技館で開催しました。様々な巡り合わせの中、その2500人の相撲ファンは感動の優勝を目の前で見ることが出来た千秋楽となったはずです。

「相四つで白鵬と組んでも力負けせずに堂々と寄り切れる」
土俵に君臨していた白鵬から主役の座を奪い、 次の時代の扉を開ける力士の出現。 スケールの大きな相撲を取る照ノ富士こそが、平成生まれの力士達の旗頭となって次の時代を牽引していく。
照ノ富士の大関昇進前後、そう信じて疑いませんでした。
そして相撲界がこれから迎える新たな時代に心躍らせたことを今も記憶しています。

しかしその数場所後、膝の怪我とその後の強行出場により、彼が描くはずだった力強い横綱への道は陽炎のようにわずか数場所で消え去ってしまいました。

膝を完治できぬまま騙し騙し土俵に上がり続けていた照ノ富士。そんな彼が一瞬輝きを取り戻したのが2017年春場所。大関として巡ってきた初優勝のチャンス。終盤戦、膝が限界になっていた照ノ富士は、立ち合い変化を行い優勝への執念を見せましたが、この場所はあの「新横綱稀勢の里奇跡の優勝場所」
大怪我を負って土俵に上がる稀勢の里の相手役になってしまった照ノ富士は、
前日変化して勝利をあげた敵役の存在でした。迎えた千秋楽、大怪我をしながら本割・決定戦において勝利した新横綱稀勢の里の姿に日本中が歓喜感涙し、傍で足を引きづる照ノ富士に触れる人はごくわずかでした。
そこからの照ノ富士は多くの相撲ファンが知るように、一年後に十両力士になり、そのさらに一年後には関取はおろか史上初の元大関・元幕内優勝経験者の序二段力士へと転がるように番付を落ちて行きました。

怪我の影響だけでなく糖尿病も抱え弱々しく張りを失った身体や、薄暗い国技館の土俵に上がる照ノ富士には正直悲しくなる瞬間もありました。最後まで平成の土俵の主役が平成生まれになれなかった大きな原因の一つを照ノ富士の怪我と書いたことや、公傷制度のなくなった相撲界の犠牲者として取り上げたことも沢山あります。

幕内復帰場所で13勝を挙げての優勝。さすがは元大関。
今日は多くの相撲ファンが照ノ富士に感動をもらい、涙したと思います。
しかしこれは奇跡の優勝なんかではないはずです。
特に照ノ富士ファンにとってみれば「復帰の場所」であり、
幕尻であれば優勝争いに絡むことなどは当たり前のことのはずです。

あの日こぼれ落ちた賜杯を掴んだ次の仕事はかつての居場所に戻ること。
薄暗い土俵に上がっている留守のうち、時代は令和に代わり新たな力が台頭してきました。しかし照ノ富士は過去の人ではありません、まだ20代。
平成生まれ初の横綱はまだ誰も掴んでいません。
やんちゃ坊主だった青年も、今や新生伊勢ヶ濱軍団の大将。
来場所後半戦の土俵に上がる照ノ富士に期待せずにいられません。

だけど今日は泣けた!
照ノ富士優勝おめでとう!
駿馬もきっと喜んでいるはず!
「諦めたらそこで試合終了」ですね。

おまけ

稀勢の里優勝場所で、照ノ富士について書いた記事です。
これまでで一番アクセス数が多かった・・・。

照ノ富士が十両復帰を決めた際の記事です。

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