新大関で優勝するのは難しいのか?

責任が増す大関という地位

名古屋場所・秋場所と2場所連続で新大関が誕生しましたが、霧島は名古屋場所を6勝7敗2休の成績で終え、秋場所を新大関で迎えた新大関豊昇龍も何とか勝ち越しはしたものの、前半から苦しい土俵が続きました。

大関という地位は「勝ち越し=番付上昇」というシンプルな仕組みだった関脇までとは異なり、安定した成績を納めることで(近年は3場所合計33勝)、周囲が納得してようやく昇進することが出来る特別な地位になります。

全ての待遇が一変する「幕下以下から十両昇進」という昇進に比べると、「関脇から大関」という昇進による変化は、(目に見える要素だけであれば)一般的にそこまではないような印象も受けますが、協会の看板力士としての立ち振る舞いや責任感は大きく変化し、成績面においても優勝争いはもちろん、安定した勝ち星を求められることになります(昔から大関の勝ち越しは10勝と言われています)。

そんな「重い立場」になる大関ですが、やはりプレッシャーなのか?昨年初場所後に大関昇進した御嶽海や、大関昇進後は苦悩する土俵が注目されてしまった正代など、ここ最近大関昇進を果たした力士達は苦戦の土俵が目立ちます。

今回は「新大関のデビュー場所」に注目したいと思います。

平成以降に誕生した大関の、「始めて迎えた場所の成績」は、果たしてどうなっているのでしょうか?

新大関優勝はわずかに2名

まず新大関として最高の滑り出しを見せた力士、いわゆる「新大関優勝」を飾った力士を見てみたいと思いますが、力士人生において始めて「数場所における安定した成績」を求められたプレッシャーの後だからなのか?平成以降に誕生した31名の大関の中で(照ノ富士は1回でカウント)、見事「新大関優勝」を飾っているのはわずかに2名の力士だけです。

平成14年初場所に13勝2敗で賜杯を抱いた栃東(玉ノ井親方)と、直近では平成18年夏場所に14勝1敗で優勝飾った白鵬(宮城野親方)。共にこれが初優勝を新大関場所で果たしています。

それではと、「戦後に誕生した新大関」という枠組みにまで単位を広げてみても、昭和24年秋場所の千代の山の13勝2敗、同34年九州場所若羽黒13勝2敗、同44年名古屋場所清國12勝3敗と、他には3名が追加されるのみです。

平成以降に誕生した31名の大関の中から、横綱昇進をした力士はちょうど10名いますが、その中で「新大関優勝」を飾ったのは白鵬ただ一人。

否が応でも注目を集める「新大関場所」ですが、後に綱を締める力士達にとっても、力士人生において一度しかない中でそれを達成するのは難しいようです。

平成以降の新大関

参考までに、平成以降に誕生した大関達の「新大関場所」の成績を見たみたいと思います。

霧島(初代):9勝6敗
曙:全休
貴花田:11翔4敗
若ノ花:9勝6敗
武蔵丸:9勝6敗
貴ノ浪:12勝3敗
千代大海:3勝8敗4休
出島:10勝5敗
武双山:全休
雅山:6勝9敗
魁皇:11勝4敗
栃東:13勝2敗
朝青龍:10勝5敗
琴欧洲:10勝5敗
白鵬:14勝1敗
琴光喜:10勝5敗
安馬:8勝7敗
把瑠都:10勝5敗
琴奨菊:11勝4敗
稀勢の里:11勝4敗
鶴竜:8勝7敗
豪栄道:8勝7敗
照ノ富士:11勝4敗
高安:9勝6敗
栃ノ心:5勝2敗8休
貴景勝:3勝4敗8休
朝乃山:12勝3敗
正代:3勝2敗10休
照ノ富士(再):12勝3敗
御嶽海:11勝4敗
霧島(2代目):6勝7敗2休
豊昇龍:8勝7敗
※参考:照ノ富士(2度目):12勝3敗⇒14勝1敗

この31名の新大関達の成績をさらに細かく確認していきましょう。

前述したように優勝力士は2名ですが、その他好成績を収めた力士はと言うと、、、

まずは平成6年春場所の貴ノ浪。千秋楽まで優勝争いを繰り広げ、横綱曙と同部屋の兄弟子である貴闘力との巴戦にまで進出しました。残念ながら初優勝とはいきませんでしたが、12勝3敗の優勝同点という堂々たる成績を収めました。

また、次に好成績を収めたのが令和2年名古屋場所の朝乃山。コロナウィルスの影響で本場所が中止となった翌場所の出来事になるので、記憶に新しい方も多いかと思います。

この場所再入幕を果たし、初日から快進撃を続ける「元大関」照ノ富士と熾烈な優勝争いを繰り広げた「新大関」朝乃山でしたが、照ノ富士の同部屋に所属する照強の援護射撃などもあり、残念ながら12勝3敗で2度目の優勝を逃しました。

朝乃山はその翌場所も10勝を挙げ6場所連続二桁勝利を達成。この当時「横綱近し」という声が掛かったの頷けます(1年の謹慎が本当に悔やまれますね)。

新大関の勝ち越しと負け越し

このように優勝だけではなく、好成績も難しいように思える「新大関場所」ですが、そもそも勝ち越しと負け越しの比率はどうなのでしょうか?改めて先程の数字を眺めてみると・・・

全力士の中で勝ち越したのは23名。その中で「二桁勝利」というところで見てみても16名と、やはり安定感という部分では「さすが大関」といった成績です。

ちなみに翌場所(大関2場所目)以降の成績を確認してみると、朝青龍が14勝で優勝(その翌場所も優勝で横綱昇進)、白鵬が13勝で4場所連続13勝以上を達成、また今回の対象には入れていないですが、二度目の昇進となった照ノ富士が新大関場所から12勝→14勝(準優勝)。これらの力士は大関昇進時点で、すでに横綱級の実力があったことを証明しています。

逆に見事大関昇進を果たしたものの、新大関のデビュー場所で負け越しをした大関を見てみると8名。全体の2割ちょっとの力士が「新大関の場所」で負け越しを経験していることになります。

しかし、人数や比率以上に気になるのがその成績内容。

純粋に15日間皆勤をしての負け越しは、平成12年名古屋場所を6勝9敗で負け越した雅山のみ。

その他の力士は皆休場が絡んでおり、曙と武双山に至っては新大関の場所を全休で終えています(武双山はその翌場所も負け越し陥落)。なぜなのでしょうか?

ここから先はあくまで私の想像ですが、やはり大関昇進のチャンスである直近の数場所に関しては、特に無理をして出場していたという背景があるのではないでしょうか?(先場所の大栄翔も怪我を押しての出場でした)

大関には「角番」という制度があるため、大関昇進までに痛めた箇所を休んで少しでも良くするために「休場」という選択を決断しているのかもしれません。

 

大関はやはり特別

こうして見てみると、大関という地位は我々が思っている以上に特別な地位のようです。

大相撲の番付、かつては「大関」が最高位であり、大関こそが最強の力士を現わす称号でした。大関と横綱に勝った力士がインタビュールームに招かれるのも、この地位が「勝つことが難しい力士」という位置づけだからです。

ここ最近は「不甲斐ない」とか「前代未聞」など、大関に対いて風当りが強い記事を見かけることも多いですが、この特別な地位に対してもっと敬意を持って見守っていきましょう。

ただし大現在における大関は最高位ではありません。ぜひその一つ上を目指して超えていって欲しいと思います。

 

 

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