年末に衝撃!錣山親方急逝
日曜は朝からドタバタしていたため、ネットニュースなどを見る暇がなかったのですが、夜になって後輩からもらったLINEを開くと、年末に衝撃的なニュースが飛び込んで来ました!
元寺尾の錣山親方が亡くなった・・・
この九州場所を体調不良で休場していた元関脇寺尾の錣山親方が、17日未明に病状が急変して、うっ血性心不全で亡くなりました。まだ60歳の若さ。
錣山部屋の愛弟子阿炎が初優勝を果たした昨年九州場所で、「心臓で入院しているのにバクバクさせるなよ」とうれしそうに話していたように 、錣山親方は現役引退後の2015年に不整脈で入院するなど心臓に持病を抱えており、秋場所14日目からも不整脈で入院し、3カ月間の入院生活中だったそうです。
若々しい錣山親方なので、今回の訃報で「寺尾が60歳!」と驚いた方も多いと思いますが、あまりに早すぎます。。。
現在の相撲界で三兄弟と言えば「大波三兄弟」ですが、かつて相撲界で三兄弟と言えば、誰に聞いても名関脇と言われた鶴ヶ嶺を父に持つ「井筒三兄弟」でした。
長男鶴嶺山、次男逆鉾、三男寺尾
長男鶴嶺山は怪我もあり十両止まりでしたが、次男逆鉾と三男寺尾は共に関脇まで昇進、「兄弟同時三役」「兄弟同時三賞」を果たし、後に若貴兄弟が出現するまで、「兄弟力士」といえば出世頭の井筒兄弟でした。
そんな井筒三兄弟でしたが、2019年9月に次男逆鉾がすい臓がんで死去。その約半年後の2020年3月に今度は長男鶴嶺山が急性心不全で死去。そして今回寺尾と、、、わずか4年あまりの期間で若くして三兄弟がこの世を去ってしまいました。
「井筒三兄弟が相撲界に誰もいなくなった」
この事実は、昭和から相撲を見ているファンにとっては、かなりショッキングな出来事となりました。
鉄人寺尾。名関脇寺尾。
60歳という若さで亡くなってしまった錣山親方。
親方時代後半は心臓の病気に苦しめられ、本場所を休場することもしばしばありましたが、現役時代の寺尾に関してはニックネームが「鉄人」と呼ばれるほど休場知らずの力士。
最近の相撲ファンにとっての「鉄人」は玉鷲かもしれませんが、かつての相撲界で「鉄人」と言えばそれは寺尾。
現役時代110キロ台と幕内で三本の指に入る小兵力士ながら、得意の突っ張りで大型力士に真っ向から立ち向かい、初土俵からの連続出場1359回(歴代7位)や通算出場1795回(歴代4位)、他にも以下の記録を残す名力士でした。
※1359回が止まった当時、旭鷲山の勝負後の後追い攻撃が批判されたものです。
最高位:関脇
通算勝利数:860勝(歴代10位)
幕内通算勝利数:626勝
幕内在位:93場所(歴代5位)
三役在位場所数:13場所(関脇7場所、小結6場所)
殊勲賞:3回
敢闘賞:3回
技能賞:1回
金星:7個
「今の力士でいうとどんなお相撲さんでしたか?」そんな質問に対しての回答といえば、、、やっぱり阿炎です(笑)
人気兄弟力士のパイオニアとして、昭和末期から平成にかけての名関脇として、寺尾は多くの相撲ファンに愛された名力士でした。
イケメン力士といえば
土俵上における寺尾の実力や功績はご理解頂けたかと思いますが、寺尾の魅力は他にもあります。
それは何と言っても、そのイケメンぶり。
かつての井筒部屋はイケメン力士が多く所属する相撲部屋とされており、その象徴が寺尾でした(霧島や初代霧の若も在籍していました)。
細身の体にあの端正なマスク、気風の良い突き押し相撲。当時相撲ギャル達の人気者だった寺尾ですが、今のように相撲グッズが充実している時代だったら、真っ先に最新グッズが販売されていたのは間違いないでしょう。
錣山部屋の行く末は
錣山親方急逝の話と共に相撲ファンの間で聞かれたのが、「誰が錣山部屋を継承するのか?」という話題。
下世話な話ですが、こういったケースの時は角界ではすぐに「年寄名跡」絡みの話が出てきます。
特に兄逆鉾急逝後、様々な憶測が飛び交った(寺尾が育った)井筒部屋の件もあったため、余計に心配するファンも多かったのでしょう。
中には鶴竜が絡んでくるか?のような噂も呟いているコメントもあったようですが、錣山部屋に関しては杞憂に終わり、愛弟子だった部屋付の立田川親方が部屋を継承するようです。
豊真といえば、所作が美しく真面目で実直、 老若男女誰からも愛された力士。引退したばかりの寺尾があばら骨を折りながら胸を出して稽古をつけ関取に育ててもらい、引退後は錣山親方と共に部屋をここまで一緒にけん引してきた功労者です。
名跡交換を行い、第21代錣山として新生錣山部屋を発展させていって欲しいと思います。
そして、その豊真将の弟弟子として、現在の錣山部屋を引っ張る阿炎。
インタビュールームでの破天荒なコメント、現役力士のSNS使用禁止のきっかけを作った動画投稿(笑)、そして新型コロナウィルス感染症対応ガイドライン違反による出場停止など、これまで数々の問題を起こした阿炎をその都度守ってくれたのは錣山親方でした。
昨年九州場所での優勝は、「最高の恩返し」だったと思いますが、まだまだ足りないはずです。
「片手しか使ってないのに関脇まで昇れた」と親方に言われていた阿炎。
親方が阿炎にとって欲しかった「理想の相撲」と「大関取り」と、やることはまだ残っています。
寺尾の四股名を返しに
「逆鉾」やかつて寺尾が名乗った「源氏山」、三兄弟の父で師匠の鶴ヶ峰や横綱鶴竜、井筒三兄弟の長男鶴嶺山の四股名で使用されている「鶴」の文字。
かつて寺尾が所属していた井筒部屋には、伝統的な四股名や漢字が幾つか存在します。
しかし、部屋の人気力士であった寺尾に関しては、わずか一場所だけは部屋に伝わる「源氏山」を名乗っていたものの、それ以外は「寺尾」などというおよそ力士を連想するのは難しい不思議な四股名を名乗っています。。。
じつは「寺尾」は母の旧姓です。
若い頃に大好きだった母を病気で亡くした寺尾は母の写真を持ち歩き、その旧姓を背負い、小さな体で戦い続けました。
今頃、その旧姓を母に返し、三兄弟で井筒部屋と錣山部屋の未来を見守っていることでしょう。
お疲れ様でした。